イタリア語のレッスン 【イタリア関連のはなし-2-】 [イタリア関連のはなし]
イタリア語のレッスン 【イタリア関連のはなし-2-】
その前年(1971年)に初めてイタリアへ突然出張を命じられた時は本当に困った。私の大学での第二外国語はドイツ語で、ラテン系の言葉は学生時代に学びそびれて全く未知だった。最初の数日間ローマ事務所の人が付いてくれた時は良かったが、彼が急用で居なくなった日の会社帰りから早速困った。送迎車がホテルに着くと、運転手が何か一所懸命に手振りも交えて話しかけるが、私にはさっぱりわからない。でもどうやら、明日はどうするかと聞いているように思える。また、こちらも「明朝は8時にこのホテルの前に来て欲しい」と云わねばならない。しかし、いざ云おうとしても「明日」「朝」「8時」「ここ」のどの単語も何というのか見当もつかない。仕方なく、運転手の肩をポンと叩き、指で目をつぶった形をし、手枕で寝る振りをしたうえで、腕時計を示して、針をクルクルと回す。時計の針を6時の形にしたところで手真似も加え目をパッチリ開ける。次いで、長針をさして2回まわし親指と人差し指で8時の形を作ったところでホテルの前を指し、念のため"8"という字を手のひらに書いた。運転手はやっと安心したらしく、にっこりと笑いながら"チャオ(ciao)"とかなんとか云いながら帰って行った。翌朝彼が時間通りにやって来た時にはホットするとともに、これは早く簡単な単語くらいは覚えておかなければ大変だと痛感した。
そんな訳で、それから一年以上経って家族を迎えた時には、単語の少しは覚えていたがその程度ではどうにも役に立たない。家から歩いて15分くらいの所に International School という看板を見つけ、私と家内とが毎週3回、毎回1時間の個人授業を受けることにした。英語とイタリア語で何とか習えると思ったのだが、英会話担当の先生はイギリス人で、イタリア語は校長の先生が自分で教えると言う。先生の英語はブロークンでレッスンはすべてイタリア語だけやるというので、どうなることかと案じられた。最初の授業では、片手を出して"mano"、両手を出して"mani"("mano"の複数形)と何回も繰り返させる。その手をテーブルの上に置いて"sopra la tavola",下に持っていって"sotto la tavola"と何回も繰り返させるといった具合に始まった。別に、中学生向けくらいの文法書と読み物の宿題が毎回課される結構厳しいものだった。
イタリア語の発音は、ほとんどが日本語と同じように母音を伴うし、母音も日本語と似ている。先生は毎時間のようにdettatoといって本を読みそれを私に書かせる。先生は「あなたの奥さんとあなたも意味がわっかっていない割には驚くほどdettato だけは良くできて全く不思議だ」と言う。私たちにしてみれば、わけもわからずにただ言われたことをローマ字的に書いているだけだのに。でも英語とイタリア語ではそうは行かないらしくアメリカ人やイギリス人は意味がわかっていても正しいスペルでは書けないとは先生の言だ。思いがけないところで日本語にも良い面があるものだ。
私は、そのレッスンと並行して、会社への送迎の運転手に、先ずは片道20分くらいの間「これは(あれは)何と云うのか」と景色を見ながら一々単語を訊いては覚えることから始めた。次いで、彼に覚えたばかりの単語や表現を用いて片言で話しかけると、彼は大喜びで単語や表現を直したり教えたりしてくれた。彼は余程それが嬉しかったらしく、彼の友人たちに「この inginiero (engineer) に自分はイタリア語を教えているんだ」と自慢風であった。ただ、彼がそれに熱中し過ぎて、ハンドルを手離しては両手でゼスチュアたっぷりに話す。それには、「お喋りのイタリア人を黙らせるのは簡単、両手を縛りさえすればよい」と何かに書いてあったのを思いだし、合点すると同時に事故を起こしはせぬかとヒヤヒヤものでもあった。
その前年(1971年)に初めてイタリアへ突然出張を命じられた時は本当に困った。私の大学での第二外国語はドイツ語で、ラテン系の言葉は学生時代に学びそびれて全く未知だった。最初の数日間ローマ事務所の人が付いてくれた時は良かったが、彼が急用で居なくなった日の会社帰りから早速困った。送迎車がホテルに着くと、運転手が何か一所懸命に手振りも交えて話しかけるが、私にはさっぱりわからない。でもどうやら、明日はどうするかと聞いているように思える。また、こちらも「明朝は8時にこのホテルの前に来て欲しい」と云わねばならない。しかし、いざ云おうとしても「明日」「朝」「8時」「ここ」のどの単語も何というのか見当もつかない。仕方なく、運転手の肩をポンと叩き、指で目をつぶった形をし、手枕で寝る振りをしたうえで、腕時計を示して、針をクルクルと回す。時計の針を6時の形にしたところで手真似も加え目をパッチリ開ける。次いで、長針をさして2回まわし親指と人差し指で8時の形を作ったところでホテルの前を指し、念のため"8"という字を手のひらに書いた。運転手はやっと安心したらしく、にっこりと笑いながら"チャオ(ciao)"とかなんとか云いながら帰って行った。翌朝彼が時間通りにやって来た時にはホットするとともに、これは早く簡単な単語くらいは覚えておかなければ大変だと痛感した。
そんな訳で、それから一年以上経って家族を迎えた時には、単語の少しは覚えていたがその程度ではどうにも役に立たない。家から歩いて15分くらいの所に International School という看板を見つけ、私と家内とが毎週3回、毎回1時間の個人授業を受けることにした。英語とイタリア語で何とか習えると思ったのだが、英会話担当の先生はイギリス人で、イタリア語は校長の先生が自分で教えると言う。先生の英語はブロークンでレッスンはすべてイタリア語だけやるというので、どうなることかと案じられた。最初の授業では、片手を出して"mano"、両手を出して"mani"("mano"の複数形)と何回も繰り返させる。その手をテーブルの上に置いて"sopra la tavola",下に持っていって"sotto la tavola"と何回も繰り返させるといった具合に始まった。別に、中学生向けくらいの文法書と読み物の宿題が毎回課される結構厳しいものだった。
イタリア語の発音は、ほとんどが日本語と同じように母音を伴うし、母音も日本語と似ている。先生は毎時間のようにdettatoといって本を読みそれを私に書かせる。先生は「あなたの奥さんとあなたも意味がわっかっていない割には驚くほどdettato だけは良くできて全く不思議だ」と言う。私たちにしてみれば、わけもわからずにただ言われたことをローマ字的に書いているだけだのに。でも英語とイタリア語ではそうは行かないらしくアメリカ人やイギリス人は意味がわかっていても正しいスペルでは書けないとは先生の言だ。思いがけないところで日本語にも良い面があるものだ。
私は、そのレッスンと並行して、会社への送迎の運転手に、先ずは片道20分くらいの間「これは(あれは)何と云うのか」と景色を見ながら一々単語を訊いては覚えることから始めた。次いで、彼に覚えたばかりの単語や表現を用いて片言で話しかけると、彼は大喜びで単語や表現を直したり教えたりしてくれた。彼は余程それが嬉しかったらしく、彼の友人たちに「この inginiero (engineer) に自分はイタリア語を教えているんだ」と自慢風であった。ただ、彼がそれに熱中し過ぎて、ハンドルを手離しては両手でゼスチュアたっぷりに話す。それには、「お喋りのイタリア人を黙らせるのは簡単、両手を縛りさえすればよい」と何かに書いてあったのを思いだし、合点すると同時に事故を起こしはせぬかとヒヤヒヤものでもあった。
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