SSブログ

イタリア語を学んで良かったこと 【イタリア関連のはなし-3-】 [イタリア関連のはなし]

イタリア語を学んで良かったこと 【イタリア関連のはなし-3-】
 そのような訳で、3ヶ月イタリア語のレッスンを終える頃には、子供たちは何とか皆について学んでいけるようになった。家内の方も、週に数回お手伝いに頼んだ近所のおばさんとの会話が私の運転手との関係みたいなもので、3ヶ月目くらい後には何回か聞き直せば何とか意志疎通ができるようになった。このようにして、家族揃ってそれから1年半のイタリア生活をエンジョイできる素地はできた。
 イタリア語を覚えて一番役立ったことは、勿論、コンサルティング業務の遂行面であった。仕事では契約上は英語ですることになっていた。相棒となるイタリア人の部課長クラス以外の担当者たちは、7月に最初に会った時には英語が殆ど話せずどうなることかと心配した。しかし、わずか2ヶ月しか経っていないのに、9月には仕事上何とかやれる程度に上達していたのには驚いた。(後に自分でイタリア語を少し学んで英語の学術用語みたいなのがラテン語すなわちイタリア語の日常語であることに気付きなるほどと納得した(例えば日本語で「カテゴリー」は哲学の時間くらいしか使わないがイタリアでは「1等」は"primo categoria"、methodology「方法論」はmetodologia「やり方」と言った類である。)そのうえ、伊・英間の通訳が付いたので、イタリア語はわからなくてもコンサルタントの仕事を進めるうえでは直接的には困らなかった。
 イタリア人が3ヶ月で英語がわかるようになるのであればと、我々の若い6年間以上も英語を学んだ団員に、「会社から授業料を払って貰う事にしてイタリア語研修をしよう」と募集したが、若い人たちは英語の上達も迫られてイタリア語を学ぶ時間的余裕がないことと、イタリア語がわかるからと後何年もイタリアに滞在させられては堪らないという理由で、応募したのは結局最年長の私ともう一人であった。しかし、私がイタリア語を学び始めたということがイタリア人にわかると、彼らは急に親しみを増し、私にイタリア語で話しかけるなど、いろいろ気を遣ってくれるようになった。また、英語で立派なことを云っている人が必ずしも正しく理解していなかったり、必ずしも信頼されていなかったりすることもあるなどがわかるようになった。ともかく片言でも彼らの言葉で話すことが、相互の友好関係の増進も含め予想以上に有効であることを体験できた。
そのほか、1970年代には日本人の旅行者もそれほど多くなく家族でイタリア旅行をした時、レストランの給仕人どうしで話し合っているのを子どもが聞きつけてイタリア語で話しかけたら、驚き喜んでサービスが良くなったり、ニューヨークのタクシーで運転手の名前がイタリア系なので話しかけると急に愛想が良くなったりなどしたのも再々であった。しかし何より、イタリアを学んだことで発音はことなるが文法上はフランス語・ポルトガル語・スペイン語と似ており、それらの言葉を学ぼうという気が起こって何が書いてきてあるかがある程度わかるようになったのは嬉しいことだった。
 このような仕事面その他での直接的な効用に加えて、いま振り返ると、20歳代でアメリカに留学して習得した英語に加え、40歳になってから思いがけず全く未知のイタリア語を少し喋れるようになったことは、使っても減るどころか増える財産を得たと言うことで、それ以後の私の人生を豊かなものにしてくれた。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。