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職場での茶目っ気の続き [1960年代の計算機導入初期の頃]

職場での茶目っ気の続き 【1960年代の計算機導入初期の頃-4-】
それに懲りて、しばらくはいたずらも休止した。だがそれくらいでは茶目っ気は収まらない。一人が東京から"プープークッション”なるものを買ったきた。椅子の上に置いてその上に座ると”プー”と大きな音を出すと言う代物だ。しかし、それを直接椅子の上に置くと「これは何だ」と音を出す前に取り除かれる恐れがある。椅子の上にクッションを敷いていればその間に入れると旨く行きそうだ。話は変わるが、当時は職制の担当者・掛長・課長で机の大きさはもちろん違ったが、椅子も、それぞれ、肘掛けなし、あり、ビロードで肘掛けと背もたれ一体型、と違っていた。 我々の掛長は40代半ばと思われる温厚な思いやりのある方だったが何故か椅子はビロード椅子だった。(それに資格:事務員・主事補・主事など、でも差があったのかも知れないが、今の民主党の誰かと違い正真正銘の時折ではそこまでは伺い知れなかった。)したがって、仕掛ける対象は課長か掛長に限定される。
課長では恐れ多いのと、クッションをして居られるのは掛長だけだったので掛長が対象に決まった。言い忘れたが当時は課長も含め課全員が同じ部屋で仕事をしていた。(生産現場では課長は何百人の工場長でもあり立派な課長室があった。)掛長が部屋を出られた時、一人がさっとクッションの下にそれを忍びこませ、席に戻られるのをいまや遅しとばかり待っていた。待ちに待った掛長はそんな悪巧みがあることもご存じなく、トンと椅子に腰を落とされた。途端に、大きな”プー”という音が響き渡る。瞬時を入れず、掛長は飛び上がられられながら「俺じゃないぞ!」と叫ばれた。皆が”プッ”と笑いたいのを我慢しようと努めていた。掛長は皆の様子を見って気づかれ「俺も引っかかったか」と決まり悪そうに笑われた。それを見て今度は皆も遠慮なく大きな声で笑った。
それくらいで止せば良かったのに、また一人が今度はインク瓶がひっくり返りそこから真っ青なインクが5センチ四方くらいにこぼれて溜まっているとしか思えないようなブリキでできた物を買ってきた。誰にイタズラするかと相談が始まると、皆が一様に課長のノートを思ったらしくて意見が一致し、恐れながら課長にしようということとなった。それには理由がある。当時の課長は、我々ペイペイの一兵卒から見ると雲の上のような在だった。我々の課長は、やはり40代半ばの教育熱心な方で、皆にノートをしっかり取るようにといわれ、またそれの書いた報告書などを自ら丁寧に赤字で添削してくださる方だった。また、ご自身も細かいカタカナと漢字混じりの文字で大学ノートにびっしりとメモを取られてることでも有名だった。その課長にイタズラしようというのだから大それたことを考えたものだ。
課長が部屋を出られたとき、一人が無礼にもその有名なびっしりと書き込まれた大学ノートを開き、その上にインク瓶が横たわり書かれた文章の上にインクが青々とこぼれ溜まっている状態を作り出した。このときは課長へのイタズラだったのでさすがに皆は緊張していた。課長が席の戻られてノートを見られるやいなや「誰がこの大事なノートの上でインクをこぼしたのだ!」とノートを持ち上げられた。すると、ノートの上に置かれていたブリキでできた瓶とインクが”カランカラン”と音を立てて机の前に落ちた。どうなることかと我々が首をすくめていると、「何だ、またか」とこれも不問に付された。この課長は大変に人徳のある方で、その頃から50年近くも経とうといういまでも90歳を超えられたその方を時折囲んではこのような思い出話に花を咲かせている。
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