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ソニー井深社長のことば 【会社勤務の頃-1-】 [会社勤務の頃]

ソニー井深社長のことば 【会社勤務の頃-1-】
米国の企業で始まったコンピュータの利用が、1965年に発表されたIBM360によりバッチ処理に加えオンライン処理が可能となり、経営管理に不可欠なtoolとなり始めた。当時その分野で米国に数年は遅れていた日本でもその重要性と緊急性が認識され1967年の秋に経団連と生産性本部が主体で大企業の社長と副社長14名とその随員からなるMIS(Management Information System)調査団が結成され一ヶ月近くの米国での実際調査とそれに基づく提言がなされて、MISブームが起こった。(注)。
団員にとって情報システム関連は新分野であり各社は秘書も兼ねた専門家を随行させ、私も当時在籍中であった八幡製鐵の平井副社長の随員として参加した。ただ一人ソニーの井深社長だけはその分野にも詳しく、お人柄からも随員をつけられなかった。でも、そのため朝夕ホテルで行われる随員会議の内容が伝わりにくいなどと不自由されていたこともあり、平井副社長のお許しを得て井深社長のお手伝いをしてお話を伺う機会が何回もあった。帰国前のある夕、「井上君、君は社長室勤務だったそうだから、社長と副社長に度々接したと思うが、君から社長と副社長はどれくらい違うと見えるかね」と訊かれた。当時、井深社長と盛田副社長は名コンビとして有名だったし、私は掛長(係長)の分際だったので、とっさに「盛田副社長とですから同じくらい偉い雲上の人に見えます」と答えたら「君もそう思うかね」との若干不満足げな言葉が返って来た。どうも違った答えをしたようだと、少し厚かましかったが「望まれた答えにならなかったようですが、お教え願えればどう違うのでしょうか」と訊ねたところ、「比喩として "月とすっぽん" ,具体例で敢えて言えば言葉が極めて不適切だが小学校の校長さんと用務の人くらいは違うよ。」「えっ!どうしてですか」「個人としてではなく職位としての違いを訊いているんだよ。盛田さんは立派な方で私は大いに助けて貰っている。しかし、副社長職位だと分かることはすぐ確信をもって返事ができるし、自信がないときには "社長の所へ行け"、ともいえる。でも社長職位ではそうはいかない。世の中で、自信を持って答えられることなんてほとんどない。しかし、社長は誰にも相談はできるが判断と決定は自分一人でしかできない。その場でそれまでの経験をフルに生かして諸々の状況も考え判断するが、その上でも分からないことがあり、その時には、エイヤで決めなければならないことが多いんだよ。井上君もその立場になったらわかることだろうが」とのご返事だった。偉大な実績を残されている井深社長でもそうなのだと思った。そして「仰る意味は分かった気がします。その言葉を肝に銘じてこれからの日常の仕事で活かすように努力したいと思います」と申し上げた。井深社長との接点はそれだけしか想起できないが、その一言は、短期間ながら直接に接することのできた井深社長の魅力的なお人柄と共にずっと私の心に残って、その後、その責任の重さから比すると井深社長に笑われそうだが、一つの課とか部を任されていたときにはそれなりに、とくにイタリアでの技術援助団長をしていた時には、当時の通信事情の悪さもあって緊急の決断を迫られたときには「団長(断腸)の思い」でその言葉を嚙みしめていた。また最後の勤めとなった大学の責任者としての4年間は、規模と内容で比較にならないであろうが井深社長のことば何分の一かは実感させられた。 (注)桃山学院大学経営経済論集2010年3月号の394頁参照


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