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 「東西各国一見一筆」より転載 2【フルブライト留学関連-8-】 [フルブライト留学関連]

 「東西各国一見一筆」より転載 2【フルブライト留学関連-8-】
八幡製鐵所旬刊誌『くろがね』1266号(昭和33年11月25日)
計量管理課 井上 義祐  
  十月も半ばを過ぎ、当地クリーブランド(オハイオ州)は街路樹の葉も落ち始め、またエリー湖の水も寒々とした色となり秋の気配を感じさせます。もう一ヶ月もすると寒い冬がやってくるそうです。八幡からそして日本から遠く離れての生活で、日本のニュースもほとんど分からない状態ですが、時折航空便で送ってくる「くろがね」に会社の様子を知らされ、大変嬉しく、またなつかしく読ませていただいています。
 私も七月の三日に日本から二十九名の留学生の一員として横浜港を出港してまだ三月余りにしかなりませんが、なんだか何年もたったと思うほど、いろんな楽しく珍らしい、経験をいたしました。以下思いつくままに少しずつ書いてみましょう。
  船では来る日も来る日も見えるのは大海原ばかりで、地球って本当に大きいものだと改めて感じ、また日付の変更で七月九日が二日続いて、隣室の子供の誕生祝いを二日させられたりしました。毎晩時計を三十分ずつ進めるので朝が大変に眠たかったことを思い出します。
 ハワイの近くで海の色が一変して、美しいエメラルド色となったのには大変感心しました。ハワイに着く頃までにはデッキで日焼けして真っ黒になってしまいました。ホノルルではちょうど二十四時間停泊しましたので、大枚5ドルを出して(各人の手持ちがわずか30ドルだったので大変なわけです)遊覧バスに乗りました。ところがバスのガイドがなんと男性でドラ声の英語でペラペラやるのにはがっかりしました。(でも後でわかったのですが、運転手の他にガイドがいるのはいい方で、バンクーバーでは、運転手がガイド兼務なのです)その点日本はうるわしいガイドがいていいなと改めて感じました。
 ワイキキの浜で泳いできましたが、聞きしにまさる美しい海でした。売店で水着を借りられるのですが、店番の女の子に「ウエストのサイズは何インチですか」と聞かれ(女の子ではあるまいし)知る由もなく、でたらめに32インチなどと言って借りたのはよかったが、水に入ってしまってから大きすぎて二、三かきごとにパンツを引っ張りあげねばならぬ有様になった友人もいました。 浜のちかくにワイキキサンドと称する店があり、1ドルで好きなものを食べ放題と書いていたので、泳いで十分に腹のへったところでその店にかけこみ、ここの名物パイナップルを皆で大いに食べました。後でパイナップルの酸のために舌が痛くなるとはつゆ知らず。
 ハワイの店では英語の使い始めとばかり張り切って出かけたのですが、店員の方から日本語で話し掛けられてがっかり……という光景も見られました。でも挨拶とかが通じたと言っては自信をつけていました。前々から聞いてはいましたが、おつりをもらう時には品物の値段におつりのお金を足しながら元の金額になるまでつりを出すのは奇異に感じました。ハワイでの一日もつつがなく終わって再びカナダ領バンクーバーへと出航。今度は日一日と肌寒く感じながらの航海でした。大陸棚へ入るとまた海の色が変わり、それから数時間の後に十八日間も船上で待ちに待った大陸を見たわけで、一寸した感動でした。 「大陸見ゆ」と電報した人もいたぐらいです。翌二十日ライオンゲートブリッジの下をくぐって美しいバンクーバー港へ入りました。日本でいえば北海道より北になるのですが、割に暖かく(もっとも真夏ですが)きれいな港でした。
港で会った人が第一次大戦の時フランスで日本人と一緒に戦ったとか。その人と食事を共にし、また家族の人と一緒にスタンレーパーク、エリザベスパークなどに伴われドライブできたのは大変嬉しくなつかしい思い出となりました。外国で親切にしてもらうということは、何よりも嬉しいことで、私達も日本の外人には親切にしようと話し合ったことでした。外国ではじめて自分の英語を実用したわけですが、どうにかこうにか通じたようで、それもまた嬉しいことの一つでした。今でこそ何とも思いませんが、あんなに白人をたくさん見たのは初めてで、何だか変な気持ちでした。
  二十一日夕刻やっと目的地シアトルに向けバンクーバーを発ちました。その夕方に一寸した事件が起こり、最後の晩をにぎわせました。出港直後外国の貨物船が隣接して出港しているので皆喜んで手を振っているうち見る見るうちに接近、あれよあれよと言う間に衝突してしまったのです。船が大きく傾いて真っ青になった人もいましたしまた入港すると電報代が高くなるというので前もって「無事入港」なんて電報を頼んだひとなどは「大変なことになったなァー、もう電報は着いているだろうに。無事どころか船が沈んじゃって」などと考えた人もいたようです。しかし留学生の中で新聞社に勤めている人は、さすが商売、チャンスと写真を、四、五枚撮っていたというのには・・・。幸い私のいた部屋と隣室がへこんだ程度で、ぶっつかった相手の船もたいしたことがなくて済みました。その晩は一同で送別会をしました。三十五歳を年長とし平均二十八才くらい。大学の助教授、助手、お役人、会社の研究所の人等々一年間アメリカの大学院で学ぼうという連中で、二十日も一緒に生活したわけですから、一同大変仲良くなり、いろんな人とめぐり合えて得ることが多かっただけに別れるのも残念でした。また船のなかでは、酒、タバコが免税でウィスキー、ビールなど大変安かったのも友情を深めた理由のひとつかもしれません。でも何と言っても待望の米国に明日は着くのだという興奮に、送別会の方は気もそぞろといった有様だったようです。写真はスタンレーパークの入り口で、同公園には自然林や、野球場、劇場、動物園などもありました。 (筆者は米国留学中)


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