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バリ島での「暗闇と満天の星」【大学勤務の頃-3-】 [大学勤務の頃]

バリ島での「暗闇と満天の星」【大学勤務の頃-3-】
  バリ島と言えば観光地として良く知られている。南国の美しい風景に加え、ケチャ舞踏、ガムラン音楽、影絵芝居等々、同島独特の文化・芸術には引きつけられるものが多い。しかし、より強く印象に残ったのは、初めて行った2000年の8月後半からの3週間近く、当時在籍していた大学の学生約20名と現地の大学生10名と一緒に、島西部の村落でホームステイと奉仕作業をしたときの生活経験だ。 キリスト教系の同大学では、その10年以上前から、現地のバリ・プロテスタント教会による児童施設の建設作業奉仕のワークキャンプを毎年行ってきていた。 当時のバリ島全体の人口は300万強と記憶するが、ほとんどがヒンズー教徒で、バリ・プロテスタント教会には8,000人の信者と70ほどの教会があった。キリスト教信徒の対総人口比は日本よりはるかに大きいが、農業の多い同島では、村中がヒンヅー教の行事を中心に毎日の生活がなされ、キリスト教徒がその中で生活するのは困難が多いとのことだった。そのような理由で、その一部の人が島の西部のジャングルにクリスチャンの村を開発し定住した。その後、島内に散住する信徒のなかで希望する子供たちの宿泊と教育が可能な養護施設を作り、数百人の子供たちを収容できる程になっていた。我々の仕事はその増設設備基礎の溝掘り作業の奉仕であった。日陰は微風があり涼しく感じるが、真上から照らす太陽は日差しが強く、その中での労働はかなりきつかった。日本だとその暑さも夏の間だけだが、かの地では雨期と乾期の差はあっても一年中続くわけで、変な話だが、日本の四季の有り難さを常夏の国に来て初めて感じさせられた。
  その村落では電気と川の水を引いた水道らしきものこそあったが、他は全く田舎風の生活様式だった。 昼間かいた汗を流すには、大きな亀に溜めた水を頭から手桶でかぶるといった案配だ。郷土色豊かな立派な教会を中心に民家が散在し、それらは村落をめぐらす道路から少し入り込んで建てられていた。それぞれの庭では、子供の頃の田舎で見られた風景のような、鶏や犬が駆け回っていると言うのどかなものだった。昼間は学生に混じって増設施設の基礎の溝掘りに汗を流し、夜は日本人やバリの大学生とともに民家に別れてホームステイをした。
  私も小学校の先生の家に泊まらせてもらっていた。最初の晩にふと目が覚めるとすぐ耳元で聞き慣れない奇妙な鳴き声がする。夕食時に聞いた話では、大きなトカゲの一種だが危害は加えないとのことで不安ながら眠りに就いた。それらにも慣れたある夜、夜道を探検しようと一人で家の庭を横切り、その先が道路へとつながる細い道へ出てみた。気付くと月の出ない夜らしくまわりは真っ暗だ。ひき返すのも癪なので、背後に家からのほのかな光を感じながら草藪の間の曲がりくねった凸凹道を懐中電灯頼りに上り続けると、細い道が急に下り坂となった。その途端、背後の光が全くさえぎられ、手許の懐中電灯に照らされた狭い円形部分以外の辺り一帯は、それこそ鼻を摘ままれてもわからない程の真っ暗闇となった。暗闇と言っても、それまでに経験した事がない、すべてが暗黒の中に吸い込まれる感じだ。暗黒を表す形容詞には「漆黒のような」を思い浮かべるが、漆から艶を取り除いたらこのような感じになるだろう。恐る恐るライトを消すと、一寸先も見えない暗闇で無用と化した視覚を補うかのように聴覚が研ぎ澄まされ、辺り一帯のシーンとした静寂の中に聞き慣れない奇怪な鳴き声が耳をつんざく。暗黒に一人だけ取り残された恐怖に急いでライトを点じ、急いで道を戻るべく坂の上の方を振り返って見た。その瞬間、真っ暗闇の上方に、満天の星がキラキラと輝いていた。 無数の星に見守られた永遠の世界に生きている一瞬が感じられた。地上が真の闇であったことが、無数の星をキラキラとより美しく金色に輝いて見せたのだろう。この世のものとは思えぬ素晴らしい「暗闇と満天の星」だった。
   
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y.sakurai

いいね。行ってみたいね。連れてって!
by y.sakurai (2014-08-31 05:39) 

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