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YMCA山手学舎への思い【大学生の頃-1-】 [大学生の頃]

YMCA山手学舎への思い【大学生の頃-1-】
         (2003年 山手学舎存続危機の頃の寄稿文より-実名と年表示を変更-)
主の平和!
 私は1954年の私が大学の3年の時、山手学舎が設立されると同時に入舎し1956年卒業時に退舎しました。入舎時に4年生がいなかったので、私たち4人(S.T兄、M.S兄、Y.M兄と私)が第一期舎生の栄誉を受けることになった次第です。当時は未だ戦後10年も経っていなく、入舎が決まった時は、終戦時に中学1年だった私にとって、共同生活をキリスト教主義・民主主義的に行う新しい場に入れるという興奮を覚えていました。実際に2年間住居をともにして、K舎監先生を含め延べ20名程の個性のある人達と礼拝や寝食を共にできたことは、かけがえのない貴重な青春の一齣であったと年を経るにつれて一層強く思われてきます。
  当時の学舎は、インド大使館に面した2階建て木造の建物で、大使館の執事か誰かが住んでいた家を改築したもののように記憶しています。食堂を除けば全て和室で、舎監の小林先生と数人の部屋は個室でしたが他は相部屋で、夜どこかの部屋に集まってはいろいろ話し合っていたように思います。舎生は禁酒禁煙を守り、朝晩讃美歌を歌い聖書を読むという簡単な礼拝をともにしていたように思い出されます。でも、そんなに堅苦しい雰囲気ではなく、みんな伸び伸びとしていたと思います。舎費は2食付で月4500円程度だったような記憶があり、比較的安価で、私の場合は大学まで歩いて10分程度でしたし、何よりも規律正しい気のおけない人達との共同生活が大変気に入っていました。
 それと、私は理工学部生でしたが、いろんな学部の人達がいて、故郷もいろいろでしたので、大学での友達からとは違った付き合いができていろんなことが学べたと感謝しています。S. T兄は法学部でしたし、他の舎生からと同様、いろいろな面で刺激を受けました。皆なかなかの勉強家で、キルケゴールの「死に至る病」を勉強しようという提案があり、何人かで輪読をしましたが、私にはなかなか難解だったように思います。卒業後、会社に入ってからも、学舎で学んだことは身に付いていて本当に有益であったと感じます。
  その後、学舎が今の建物に引っ越したと言うことで、何度か訪ねました。雰囲気はすっかり変わって昔の面影はないものの、舎生と会って話す機会をもつことができて、やはりこれが山手学舎だという帰属意識を感じたものです。
 山手YMACAは、いろいろな事業を手がけ実績を上げた面も多いとは思いますが、私たちが巣立って47年の長きに亘って、多くの有為な人材を送り出し続け、その人達に心のふるさとも与えてきたきたという、それだけでも本当に素晴らしい働きをしてきたと思います。聞くところによると、学舎がYMCAの事業計画のなかで無くなろうとしているとのこと。単なる過去への郷愁ではなく、今後育って行くべき若人への期待から、YMACAが事業計画を見直して、是非学舎の存続を続けて欲しいと熱望して止みません。
  
                                            第一期舎生           井上 義祐
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