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体重とスーツケース 【この頃思うこと-12-】 [この頃思うこと]

体重とスーツケース 【この頃思うこと-12-】
  「内臓諸器官はその人の成長期の身長と体重に合わせて形成される」と何かで読んだ記憶がある。それは、自動制御を学んでいた当時の私には最高に精緻な身体のシステム設計条件として当然のように思えた。身長は成長期を過ぎてもほぼ不変だが、多くの人で体重は大きく変動し倍増する人さえある。機械は設計時の条件が倍にも変動すると絶対に稼働が不可能となるが、人智を超える精緻さと不思議さを持つ人間の身体には、それほどの変動にも対応可能なほどの高度の仕組みがあるに違いない。
   ボクシングなどの体重別競技やダイエティングの場合などの意図的な体重管理を除くと、多くの人は、成長期後の生活習慣により体重が徐々に増減したことを何かの機会に気付かされるのではなかろうか。 少なくも私にはそれに類する経験が幾つかある。
  一番印象に残っているのはイタリア在勤の40歳代初め頃のできごとだ。会社の10年近い後輩A君が出張して来ると聞き、駐在のB君と3人での週末旅行を計画した。両君とも背丈は高いが、そのA君は、80キロ超ある肥満型のB君でさえも一目を置く、100キロを超す巨漢だった。北部のドロミテ山麓か近辺の旧い街などの候補地で、A君の強い希望の山麓を選んだ。そこでの景色は素晴らしかったが、加えて、A君が急な登り道で「もう少しゆっくり」と何回も叫ぶ表情は忘れられない。それだけに、頂上での「少し待たせはしましたが、最後まで登れたでしょう」と言うA君は嬉しそうで得意げですらあった。
  帰路に昼食で寄った街の広場に、街が一望できそうな高さ10階ほどの鐘楼があった。A君に「高いからここで待っていて」と言うと「ナーニ、これくらい登れます」との答え。両君よりは痩身の私が、息をきらせて先頭で螺旋階段の6階ほどに達したとき、下方から「もっとゆっくり登ってくだサーイ」と声がする。B君が「いま何階だ」と問うと「3階です」「そこで待っていたら」「いや登ります」との問答。どうにかB君と最上階に辿り着き、また「いま何階だ」と訊くと「6階くらいです」と言う。かなり待ってから、苦しそうに姿を現した彼が、開口一番「お二人の表情は『一番若いのに』と言いたげですね。しかし、井上さんは片手に20キロずつ計40キロ、Bさんは片手20キロのスーツケースを持ってこの高さまで登れますか。私はできました、でもそれが自分の体重なので複雑な気持ちですが」と言う。「もし体重が80キロとなれば、空港で味あうあの20キロと重いスーツケース1個分強を常に持ち歩くことになるのだ」と以降は体重により敏感になった。
  彼の2度にわたる快挙に敬意を表し、夕食はレストランで、当時の日本では大変高価で縁遠かったビーフステーキを各自の体重に比例した重さで焼いて貰い、代金は体重に反比例して払うことにした。私は多分250グラムほどを何とか食べたと思うが、A君は私の倍近くの量は食べ切れなかったと記憶する。なお、その後A君は努力して20キロほどの減量に成功したと聞く。
  その他の、体重に関連して思い出されるのは、成長期に鉄棒・平行棒に熱中し、54キロ台の逆三角形の体型であったこと。大学生活と入社後の10年近くはその体重を保てたこと。留学時代の牛乳のガブ飲みで2か月もせず130ポンド(58キロ)と急増したこと。その後、銭湯の鏡で浮き輪付き腹部の上に自分の顔を見ては驚いた頃に60キロの大台を超えたこと。それがイタリア帰国前は68キロにまで達したこと。帰国後は少し痩せ、74歳で仕事を引退するまでは64キロ前後で推移し、数年は食事と運動に留意して55キロ前後と、何とか成長期の値に戻せていることなどである。
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コメント 1

田辺十三子

井上様
さすが、アンジニアでいらっしますね。機会と人間(体重)を比べられて。
大変興味深く拝見させていただきました。
ビーフステーキのお話、250グラムのものをお召し上がりになられたとのこと、どのくらいの大きさでしょうか?お若い部下の方とご一緒でも、やはり井上様も若さですね。
今、日本では美味しいものにあふれています。世界に目を向けますとき、飢えに苦しんでいる子供達を考えますと 食 を改めて考えさせられます。楽しいお話に水をさしまして、すみません。


by 田辺十三子 (2012-10-12 21:27) 

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