SSブログ

インドの大学訪問記(2003年1月)【大学勤務の頃-6-】 [大学勤務の頃]

インドの大学訪問記(2003年1月)【大学勤務の頃-6-】
 1月になると、それからの11年で変化したとは思うが、インド滞在4日間の強烈な印象を思い出す。大学の勤務先を変えた2002年夏に、NYの国際会議でインドの学長と「学生がインドでの2週間の講義とField workでその伝統的な面と現代社会面を学び、教授が日本で一学期研究する」大学間交流を企画した。 翌年1月早々に予備調査でインド西海岸Chennai(旧名Madras)南南西約550kmのMadurai(人口100万)を駆け足訪問した。インドには約90の国立大学と約9,000校私立collegeがある由だが、訪問校は米国大学との交流実績があった。
 まず学長から学生利用予定の外来宿舎や教室施設の案内を受けた。女子大だけに構内は完全に高塀で囲まれ、学生数は2,200名(うち500名が構内寄宿舎生)で設備は全般的に立派で衛生的だった。学外での Field work は大学のバス使用など学内外とも安全面も心配ない。貧富の差が大とは聞いていたが、車での通学者が運転手付きの送り迎えだったのには驚いた。一方、カースト制を認めない学内では奨学金で学生寮から通う貧しい学生もいる。
 学外 Field work 対象として、担当教授の30分ほどのドライブでカースト制度では最下層の貧しい村を訪ねた。同制度は憲法では存在しないが、実際には日常社会生活上で結婚や就職での厳しい制約となると言う。その村で活動中のNGO代表から自立目的の若い女性へのミシンで製縫指導などの活動実態を見聞した。その後、直面する産児制限と幼児健康問題(日本では戦後すぐの課題だった)の解決目的で設立されたと言う政府援助の相談所を訪れたが、両所とも多くの真剣な表情の参加者で問題の深刻さを感じた。
 学長の夫君は牧師で、インド社会の異質な一面が見られる場所を選び案内してくれた。まず街中の10階建てほどの巨大な外壁に無数の動物や人が彫られたヒンズー教の大寺院を訪ねた。入り口で靴を脱ぐにしては床は寺院外と余り変わらないが、その内外の壁の装飾の多様さ多彩さには圧倒された。寺院内は驚くほど多くの人がいて内陣には教徒教しか入れなかったが大変印象深い経験だった。学生の研修内容とは別に、翌朝は夫君の案内で街外れにある結構な敷地の寺院で金曜日の儀式を見学した。道すがら一緒に付いて来た子羊が、一人の何やら短い祈りの後、少し離れたところで「首と足一本を寺院に捧げる奉献儀式」として瞬時に屠られる残酷な場面に遭遇した。旧約聖書の似た記述箇所が思いだされた。少し行くと別の参拝一家が奉献以外の部分を料理し会食していた。側のお堂では、祈祷師が呪文を唱えると横の女性が恍惚となって倒れ、またそこへ走りながら神懸かり的に身もだえする光景も見られた。それらは何千年と続いてきたものだろうが、それまでの国内外での経験とは全く異質な一面であった。勿論、近代インドの姿も見てきた。
 その夏帰国した学生たちは、私自身もそうだったが、「経済的には貧困者も多いが、異質で豊かなインド文化とその生活」に直接触れて大きなカルチャーショックを受け、予期以上に人類の文明と文化を真剣に考える機会を得たようだった。Maduraiについては下記サイトでも参照できる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%82%A4 
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。