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「25年前のホームステイ型語学研修」【大学勤務の頃-7-】   [大学勤務の頃]

「25年前のホームステイ型語学研修」【大学勤務の頃-7-】  

 大学へ転職の翌年、講義以外の仕事として国際センターの担当となり、豪州の大学からの語学研修提案の手紙を見つけた。以前から考えていた「英語学習は生活体験から」の実現好機と、当時では珍しかった「ホームステイ型語学研修」を提案し航空便十回ほどの往復で、その秋には翌1989年2月から1か月、私が同行し必要に応じ現地で改善して行く条件の試行契約が成立した。すぐに学生を募集し一年から三年生の十四名ほどを選抜した。女子学生が半数いてそのケアを考え留学経験のある家内を自費で同伴することにした。  南半球の初夏2月に学生を引率しメルボルンのラトローブ大学へ到着した。生活を通じて英語を学ぶため個人別のホームステイを前提としたが、その時点で二名分が未定とわかった。取りあえず男二人女二人の二組のステイで対応し二軒の至急追加を強く要請した。 一人を残し全員をステイ先の迎えの車で送り出し、レンタカーで自分たちの一か月の借家を確認して大学へ戻ると、彼は遅れて来た女子学生に伴われたとのこと。気になってそこを探し当てて行くと、迎えに来たという女子学生が現れ「一軒の家を借り自分用以外の数部屋を男女の学生に又貸しをし、その一室に彼を入れている」というのにいささか驚いた。  翌朝から大学の授業がスタートし、開講前に大学へ行きクラス分けや幾つかのクラスで聴講して授業の内容を確かめ、三人分のホームステイ探しを再度強く要求した。午後になってもステイ先探しは予想外に困難という。その問題を含め同国の社会状況全般の把握のため大学チャペルの牧師を訪ねたが要領を得ない。しかしその紹介で、十年ほど同大学で社会学を研究中と言う日本人教授を訪ねた。専門分野だけあり「生活を通じ英語習得は大賛成だが、いまより三十年前に経験された米国東部のクリスチャンホームのイメージを、教会に行く家族も少ないこの地のいま求めることは無理で、十軒も見つかっているのは上出来だ。ここでは男女無関係に高校と同時に家を出て学生同士で一軒を借り共同生活するものが多く、それも良い経験だと思う。」との言に、時代の推移と土地柄の相違を認識させられた。二日ほどの大学の努力もむなしくステイ先は見つからず、学生五人が「もう移りたくない」との希望でステイ先探しは諦め同市郊内外の分厚い番地付き地図を購入した。  翌日以降、夕食後ステイ先に電話をしては家内と二人して地図を頼りに夜道を遠くまで車で訪問をした。学生の生活状況把握と助言に加え自分達の子供と似た年頃の学生を預かった責任上その両親に報告の手紙を出そうと思ったからだ。事前準備の授業で「ホームステイは客ではなく家族の一員と思い何か手伝うこと」と話していたせいか、各家庭では、水撒き、食事準備、犬の散歩などの手伝いなども含め好評で安堵した。ステイ先は様々でプール付きの家もあれば夫婦共働きで部屋提供程度のところもあった。食事もステイ先で格段の差があり、恵まれなかった学生数人を家内の手料理で当時の日本では高嶺の花だったステーキを「腹一杯食べられた」と喜んで貰ったこともある。滞在中間の週末に学生達がペンギン見物のバス旅行を企画実施したのも良い思い出だ。また、最後の週末は、ホームステイ先の家族を招待し「すき焼きパーティ」で感謝も込め交流を楽しんだ。  学生が英語で生活したのは一か月ではあったが、そのわりには、英語での授業と相まって不自由ながらも意思疎通をする度胸は付き、また自分の育った家庭以外の種々の家庭生活が経験できて期待した成果は充分にあったようだ。帰路には一泊のシドニー見物も楽しんだ。帰国後十年くらい集まっていたが、二十五年経ったいまもその多くと交流が続き各人それぞれの道で頑張っている報告が舞い込む度に当時のことが脳裏に浮かぶ。


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コメント 1

瀧澤

もう25年にもなりますか(O_O)
当時は本当にお世話になりました。
今でも当時の記憶は鮮明で、先生やクラスメートとの思い出をよく思い出すことがあります^_^
by 瀧澤 (2014-05-24 11:10) 

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