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南北イタリアの食文化の違い [イタリア関連のはなし]

南北イタリアの食文化の違い 【イタリア関連のはなし-15ー】

      -1973年~1974年頃の南イタリアリアの話ー
 
 Taranto での生活に慣れるにつれ、家族ぐるみの付き合いが始まった。アメリカでの家庭招待だと、子供たちはベビーシッターに頼み夫婦だけで出かけるのだが、イタリアでは日本よりも家族主義が強いようで幼児でも必ず連れて一家揃って出かける。夕食への招待は夜8時頃から始まり、オードブルに始まり飲みながら食べながら、そして一番重要な喋りながらで、時間をおき料理が次々と出され、真夜中過ぎ頃に終わるように時間調整する。子供たちもその時間まで起きている。何軒かの家に招き招かれてこれが南イタリアの風習であることがわかってきた。
 もう一つ気付いたのは、同じイタリアでも南、北の家庭の間では細かいところで食文化が違い、その違いをお互いに重視していることだった。我が家への招待はまず手伝いを頼んだおばさんの一家から始まった。その一家は典型的な Tarantino(タラントっ子)なので当然南の流儀だ。次いで、Genovaからの転勤で来ている会社の部長一家を招いた。彼らからは北の家庭の流儀を学んだ。
 それらで感じた南北での差異は、まず食卓の水の違いだ。確かにイタリアの水、とくに南の水は硬水で旨くはなく、我々も acqua minerare gassata (炭酸水)を飲み慣れるとそれを好んで飲んだ。次にワインの違い。イタリアワインは確かに北部の人たちが自慢するように銘柄ものは北部産に多いが、我々には南部産でも旨いのもあると思われた。その他、食材では、北部はバターやライスも使うが南部ではオリーブ油と pasta(麺類)を使った料理が圧倒的に多いと感じた。いずれにも共通した日本と違った礼儀(アメリカもそう
だったが)、招かれたら訪問前に花を送り届けておくことだった。
 このような何回かの経験から気付いたのは、客を招くに先立ち、まずその夫婦が南北どちら出身なのかを調べる重要性だ。夫婦の出身が南北に分かれる場合には、両方を用意するか、どちらが決定権がありそうかを秘書からこっそり聞き出しそれを尊重した。ワインの銘柄は平常の会話で、愛飲の白・赤の銘柄をさりげなく聞きだして取り寄せておいた。ワインと云えば、北部Genovaからの幹部社員は転勤荷物で1年分の愛飲ワインを1,000キロメートルも運んで来ると聞いたほどで、彼らにはそれほどに重要なことらしい。

 料理は家内gはその時々で、北出身の家庭にはライス、バター味の料理、エビアン水、客の好みの赤・白ワインを中心に南料理少々を用意する。南部出身の家庭にはpasta、オリーブオイルをたっぷり使った料理、水差しの水道水をテーブルの上におき、南部産の好みの赤・白ワインを主に揃えるといった案配だ。
 ある生粋の Tarantini(複数-語尾がiになる-) つまり南の幹部家族を招いたら、「さすがに Mr. and Mrs. Inoueは在米経験もあるインターナショナル派だ。北からの転勤族は我々と同じくイタリア人というがこんなに旨い水道水が不味いとエビアン水を飲み、南のワインの味もわからず北のワインを選んで高級ぶる。『郷に入れば郷に従え(英語では"when in Rome do as Romans do"、伊語で "paese che vai usante che trovi" 』と言うではないか。その意味であなた方は日本人だが、今夜の食事は我々南部の食文化である pasta やオリーブ油を採り入れておいしく北の連中よりはるかにイタリア人だ。」と言ったものだ。
 これに比し北部出身の部長は「さすがにあなた方は南の連中とは違う。彼らは自分たちと同じイタリア人と思っているようだが、あなた方はこんな所に住んでも彼らと違い我々イタリア人と同じく食卓では水道水でなくエビアンを飲んでいる。また、オリーブのきつい味付けでなくバター味のライス料理は北の食文化と同じでおいしい。」と言った。
 我々には、本当はどちらも美味しくこだわらないのだが、彼らに敢えて反対する必要もなく相槌を打つと「やっぱりそう思うだろう」とエスカレイトするので、我々がいささかヤリ過ぎたかと気恥ずかしい思いがしたくらいだった。
 大分慣れてきたところで、主客としてタラントでは一番偉い製鉄所長一家を招くことにした。予め所長の出身を調べると夫人ともどもローマの南方の町とのこと。愛飲のワインの銘柄名は忘れたが故郷近くのワインだった。幾つかの候補日とともに所長に「ご一家ご夫婦と子供3人を我が家にお招きできれば光栄ですが」と申し出た。すると、所長は「喜んで…」と少し言い淀んでいる。「何か…」と尋ねると、「実は私の両親も一緒なので…」とのこと。ワイングラスとかお皿などは12人分揃えてあるし、5人も7人も同じ事だと思い「どうぞ」と言ったら喜んでおられた。次の日に秘書からの電話で「ちょっと所長がお呼びです」と言う。何事かと行くと、所長が困ったような表情で「実は私の妻の両親がすぐ下の階に住んでいて、貴方に招かれる話をしたら『日本人と会う事なんて滅多にないことだから、何とか私たちも一緒にお願いできないだろうか』と頼まれまして」とのこと。こうなればお手伝いのおばさんもいることだし7人だろうと9人だろうと一緒だとばかり「良いですよ」と答えた。その時の所長の表情は忘れられないほど嬉しそうだった。それにしても南の人の家族主義は聞きしに勝るものだった。 
 さて当日、ご老人4人と夫妻、子供3人合計9人が夜8時過ぎに我が家にみえた。その日とくに注意したことは、ワインは赤白とも日頃愛飲の銘柄とacqua (水)は水道水を水差しに入れたものと acqua minerale(ミネラルウォーター)を用意すること。オリーブ油たっぷりの前菜と pasta と魚・肉料理、食事の間は早口でわからないことも多いが出来るだけ皆で会話の中に入ることなどだった。大変楽しいひとときで夜中の12時半頃まで楽しんだ。我々が招かれた時に持っていった嫁入り人形のお返しとして、その夜持ってきていただいた Capo de Monte の焼き物の花がいまも我が家の居間でその夜のひとときを思い出させてくれる。(ブログ http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/ 2014/5/30掲載)


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