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流通の近代化とドラッカー教授の言 【この頃思うこと-33-】 [この頃思うこと]

流通の近代化とドラッカー教授の言 【この頃思うこと-33-】
 
   いま住んでいる一帯は広大なJR操車場や小さな工場群の所有だった土地を再開発したせいか、この4年半の間で歩行できる距離内にショッピンセンター・コンビニ・スーパー・ドラグストアが新設されて便利になった。これは流通の近代化の成果なのであろうがいずれの店舗も比較的に安価で多種多様な品物に溢れている。

   転居してすぐは「おまち」と言う言葉が固有名詞とは知らなかった。しばらくして靜岡では駅から城跡への幾通りかの商店街を愛情を込めてそう総称していることがわかった。城下町の名残なのか「おまち」には老舗もあり、またチェイン店なども混在して買い物にも暖かい雰囲を感じる。
しかし、日本各地の名店街では、街中や郊外にできたコンビニやショッピングセンターなどのために閑散となったところも多いと言う。現に私自身も昨秋、以前に住んでいた北九州市を訪ねたが、黒崎駅前や八幡の中央町などの賑やかだった商店街は閑散としてシャッターが下りたままの店が多く改めてそのことを実感させられた。
 D002_edited-1.jpg   「流通の近代化」の言葉でドラッカー教授が自宅でふと話された言葉を思いだした。教授のことは以前にこのブログで紹介した(稿末参照)ので省くが、教授にはカルフォルニアのDrucker Centerに客員研究員として滞在し知己を得た。研究の合間に同センターの看板講義と言われた「意思決定論」を聴講したが、当時82歳だった同教授は東西古今の歴史上の人物や文学の主人公などを例にその状況と共に展開され、日本の戦国時代の戦いなどでは私に確認を求められるなど、その博学と記憶の確かさには驚嘆した。教会関係で教授のDoris夫人とも知り合い、家内と2度ほどお宅に招かれ軽食をご馳走になった。それは日本のバブル経済が破裂し始めた1992年後半だったが、そこでの話題は専門から離れて教授の造詣が深く愛情を持たれていた日本の美術や歴史の話題が多かった。そのなかで、ふと「日本企業も少し調子に乗りすぎて日本国内のみならず米国内の不動産に不当な大金を払って購入しているが後悔することになるだろうに」とか、「日本の物作り技術の進歩は一流になったが流通面の近代化は随分遅れている。日本固有で私の大好きな人の暖かみがなくなるのは残念だが、多くの小さな家族営業の店主が引退する頃には流通面も淘汰され近代化が進むだろう」と若干淋しそうに言われたのが印象に残っている。
   周知の通りその直後から不動産の購入で多くの日本企業が行き詰まり、国内外共に損を覚悟でそれ等の売却してバブル弾けに拍車をかけた。しかし、「流通の近代化」については、当時の日本ではそれで生計を立てている個人の店が多く、博士の言葉通り、その人達の引退が原因なのか結果なのか、多分その双方なのだろうが、個人の店は次第に姿を消し、街中のコンビニや郊外の大型スーパー、それにショッピングセンターが流通の主流になるのにはそれから10年以上の歳月を要した。確かに効率は良くなったが挨拶に込められていた暖かい人間味は薄くなった気がする。
  
   
拙 blog(http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/2011-10-26-2参照

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