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お風呂 【この頃思うこと-39-】 [この頃思うこと]

お風呂について 【この頃思うこと-39-】  
  お風呂は私にとって楽しみの一つだ。毎日のことながらその日がなんとか無事に済んで、風呂場で頭と身体を綺麗に洗ったあと、少しぬるめの湯に手足を伸ばし追いだきをするなどしてのんびりと温まりながら浸るのは何とも言えない。
 振り返ると、五年ほどの海外生活もその國でしか味わえない貴重な体験が得られた分は大いに「得した」と思うが、ただお風呂だけは人生で五年分だけは「損した」感じがしてならない。この感じは外人には理解できないだろう。と言うのも、欧米でもバスタブと称するものはあるが、それは流し場の感じで、タブは時間があれば湯をはり身体を洗い流すことはできるが暖まるのが目的ではなさそうだ。欧州のホテルも昔はシャワーのみが多く「タブ付きを」と頼むと「そのような希望をするのは日本人だけだ。日本人は魚と同じく水に浸からないと気が済まないのか」とからかわれたほどだ。もっとも最近は暖まる方はジャグジーを楽しむ人も増えたようだがお風呂でのぬくもりとは異種だと感じる。
 かなり昔の南イタリア在住のときだが、湯舟で暖まるなどは想定外だったようで、42℃の湯をタブ一杯にはったら給湯器の湯を使い果たしたらしく数時間は家族全員がシャワーもできなくて困った思い出もある。米国ではバスタブも大きく湯も豊富に出たが同じタブの中で身体を洗いシャワーで流すのでは風情がない。ではと湯をはって入ってもタブに熱を取られ冷めてくるのでゆっくりぬくもる気にはなれなかった。
 温泉は別格だが、昔風の壁に三保の松原と富士の風景画がある銭湯も楽しめた。掛け流しの温泉では広い湯舟に適度の湯が常時流れ込みゆったりするのは言いようもない。それが露天風呂で、新緑や紅葉の山並みとか松並木越しの海辺を見ながらなどだともう申し分ない。海外にも有名な温泉場は幾つもある。アイスランドのラグーン露天はプール数個分の大きな人造池だったし、ブダペストには室内プール並の立派な温泉だったが、いずれもぬるく水着着用なので日本の温泉の楽しみは味わえなかった。他の國にもローマ時代の遺跡とか飲用湯が街角の随所あるとかだったが、最近では日本人観光客目当ての温泉設備も現れてそこでは国内並にゆったり楽しめるところも出てきた。
 ぬるくても湯には毎日入れるという思い込みもジャワ島北東の密林に囲まれた農村で学生と宿舎の基礎作り作業をしたときに見事に崩れた。いまでは便利になったろうが、当時滞在中の3週間弱は、水は貴重で飲み水は衛生上必ず湯冷ましだし、水道は勿論シャワー設備などはなく、作業が終わると小屋の一隅の台上に汲み置かれた水瓶の水を手桶で頭からかぶり身体に石けんを付けて擦り、それを洗い流すという日々で風呂などは思いもよらなかった。そこの人を日本に招いたとき「透き通った綺麗な湯の中に入る贅沢なんて考えてもみなかった」との言には実感がこもっていた。でもそこでの暗黒の空に南十字星星などが満天の星でキラキラときらめく風景は想像を絶する美しさで感動的だった。
  こう考えると、諸外国にはそれぞれその国でしか味わえない特有の幸せの文化があるのだが、お風呂は温暖多湿で温泉も多く綺麗好きな日本人特有の幸せの文化だと思える。


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