電気について思うこと【この頃思うこと-50-】 [この頃思うこと]
電気について思うこと【この頃思うこと-50-】
電気はいまや日常生活で空気と同じようにそれなしでは過ごせない存在だ。しかしその電気も、子供の頃には夜に点る電灯と、(当時は壁コンセントなどなく)天井からぶら下がった電灯の二股ソケットとコードでつないだラジオを聞くに過ぎなかった。戦時中ラジオは重要な情報源だったが、電灯は灯火管制でその直下以外は照らせず、戦後には電力不足の蝋燭送電で暗かった。戦後数年で、電気が手軽な熱源になるのをニクロム線使用の手作りパン焼き器で、動力になるのを模型電車作りで実感した。電気が生活の一部となるのは1956年頃に始まる経済高度成長期に「三種の神器」として白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が普及した以降だ。
その見えない難解な電気の理屈を調べ多少は理解できた感じだが、これ以降の一段落はその私なりの抄訳で所詮は資料の半可な受け売りの一部なので、考え込まず流し読みのしていただきたい。まず「電気」は「電荷の移動や相互作用により生じる様々な物理現象の総称」であり、その「電荷」は「原子内の原子核にある素粒子の持つ性質の一つ」で、「素粒子」は陽子と電子からなるクオークと名付けられる文字通りそれ以上分割できない最終・最小の粒子であり波の性質を併せ持つ」とある。「クオーク」は素粒子研究の「標準モデル」では「レプトン」と共に物質を構成する「フェルミ粒子」(12種類)に位置づけられ、それと別に素粒子間の相互作用を媒介する「ボース粒子」(光、ボソン、グルーオンと未発見の重力伝達の可能性を持つと考えられるグラビトンも?)もあると言う。
調べる過程での内容はさておき、研究最先端で扱う範囲の長さ単位が、極小分野では電荷を議論する10-35 mから他方極大の宇宙研究分野の 1027 mまでの想像を絶する超広範囲さは一驚に値する。しかも世界中の物理学者がその2分野の同一数式で同時に説明可能な理論構築に取り組んでいると言う。文中での(10-35)mは日常見慣れぬ表記だがこれは1mを10で35回割った単位で、1027)mは10を27回掛けた単位のメートルを意味する。これらは我々の日常生活で使う長さの単位の1mm~1kmのこの表記法である(10-3)m~(103)と比べればそれ等が文字通り桁違いに広範囲であることが実感できよう。
また、この宇宙は、正体不明で宇宙全体の原子の5倍と言う未知の暗黒物質を除き、全てが素粒子で構成され、素粒子はその名の如く粒子であるが同時に波でもあると言うので、見えないながらも想像できる波長でイメージしてみる。それを短い方からnmすなわち(10-9)メートル単位で表すと、ガンマ線(0.01より小) X線(0.1~10)紫外線(10~380)可視光線(380~760)赤外線(760~1x105)超短波が(1x109~1x1010)長波(1x1012~1x1013)で、波長が短いほどエネルギが大きく有害であると言う。
人の身体の細胞は種々の分子からなりそれ等は全て原子の結合で、原子は上述の電荷の性質を持っている原子核をなすクオークから構成され、我々はその細胞どうしを刺激する神経の微小な電荷の移動(電流)の働きで生きていると言う理屈になる。
これらを知る以前には、電気は自分とは縁遠く感じられたが、冒頭の「空気と同じ」どころでなく、自分の身体そのものが電荷の性質を持つ素粒子からなり、この文が書けるのも素粒子のフェルミ粒子やボース粒子などの働きで脳中と腕や指の中を電荷が移動する賜物なのだと思い知らされている。
(本文の性格上個々の出典参照は省くが村山斉「宇宙は何で出来ているか」幻冬舎新書と数々のウェブサイトを参照したことと生半可な理解で纏めたことを許されたい。)
コメント 0