SSブログ

体操競技をテレビで視て【この頃思うこと-52-】 [この頃思うこと]


体操競技をテレビで視て【この頃思うこと-52-】

 オリンピック体操団体での日本優勝の一部始終を手に汗握り観戦し、試合後の「一番心臓に悪く幸せな日」との白井選手の感想に「演技の場と技内容」では月とスッポンの差で比較にもならないが、52年昔の高校2年時の国体予選試合出場での感覚と興奮が蘇った。

 戦後5年目の物資欠乏時代で、鉄棒・平行棒・飛箱(跳馬)下のマットも薄く、床運動は講堂の木張りの上で、吊り輪とあん馬はなく4種目だった。このブログのカテゴリー「中高生の頃」で述べたが、その春までは私は懸垂1回もできなかった。しかし鉄棒にのめり込み3か月後の夏休過ぎには逆車輪・正車輪が回れて体操部から国体予選の練習をするように誘われた。当時の技難易度は規定種目が正逆車輪の持ち変え反転降り程度と極めて低かった。大学受験の身体鍛えで始めたのに急遽放課後は未経験の平行棒、跳馬、床体操の練習となり受験勉強は帰宅夕食一眠り後の深夜にとなって挙げ句は浪人の羽目になった。しかし身体成長期と重なり痩せぽっちが奴凧の渾名ほどの逆三角体型となり県予選に出場した。各競技の前は自然に技の一連の動きを心の中に復習していた。テレビで見る選手の競技前の真剣な表情とかすかな身振り手振りにこの実感も掘り起こされ、自分の中では彼らと一緒に気持ちでは手足身体を動かしていた。しかし1回の空中前後回転しか実体験がない私には、空中で何回転も捻っての着地には実感が伴わないない。それは幼時からトランポリンなどで空中の位置関係把握を瞬時に把握する訓練の成果で得るのだろう。

 また競技順番では試合前の駆け引きも思いだした。最初の鉄棒競技前で心理的に他校を圧しようと自校エースに試技させたが、見事な車輪に続く反転宙返りの直前に掌保護の革紐が切れ空中に高く舞い上がり落下した。体操では失敗時の落下では瞬時に体位を判断し身を処すのだが、彼は空中で失神し無意識の間に肉の塊の如くドシャッと音をたてて床上に落下した。声を掛けても返事がなく慌ててバケツの水をかけたら気付いた。幸い怪我はなかったが彼は欠場でチームは惨敗だった。彼は当時入手困難な掌保護のなめし鹿革に自分で紐を縫い付け着用していたのだった。また、いま平行棒で二の腕を保護しているテープ覆いも当時はなく、じかに当たる腕内側の薄い皮がバー上を滑るときに剥け、皮膚修復までの数日ヒリヒリと痛かった感触をいまでも思い出す。

 大学では国体県大会で優勝した選手よりも遙かに上手な体操部員が何人も練習しているのを見て入部はせず体育の単位で体操を選んだ。そこで初めて吊り輪に遭遇し、ぶら下がるだけで身体が前後左右に揺れその静止にタイミングと筋力が必要なのを体感した。鉄棒とか平行棒とか固定した器具なら当時数秒間は身体を任意の位置に留める筋力はあったが、前後左右と自由に動く吊り輪では揺れを静止するだけでも特別の筋肉とそれを維持し動かすタイミングが必要なことを体験した。吊り輪では蹴上がりまではできたが、より高度な十字懸垂などは至難の業で加えて高得点の揺れなく静止するのはさらに難しい。

 幼時から訓練したスペシャリストとしての高度な技の連続には感嘆のほかないが、私のように高2までは懸垂一回できなかった者が器械体操で身体を鍛え、いまも懸垂や胸筋など当時の何分の一かの筋肉を保持して健康に過ごしている者から見ると体操を趣味程度で楽しむ人が減っているのではないかと若干の危惧も覚える。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。