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Epock-makingで思うこと【この頃思うこと-53-】 [この頃思うこと]

Epock-makingで思うこと(改訂版)【この頃思うこと-53-】

 ふっとEpock-making incident(出来事)とかachievement(達成)の語が浮かんだ。その前後で世の中の常識が一変する事象だ。偶発だが必ず社会的な背景があり、その変化の実現には遅速がある。科学技術史はその好例に溢れている。力学で有名なニュートンが造幣局長官で錬金術に興味を持つユダヤ教の研究者だったと言う。また二千年前には少数のローマ貴族家庭で最低十数人の奴隷の労力で成立した生活レベルを、現在では遙かに超える豊かさをどの家庭も電力(洗濯機・掃除機・冷蔵庫などの電化製品で)使用で享受しているが、その電力を作る電磁波は、ファラデイ(1791-1867が製本職人として貴族学者の論文を装飾製本し進呈して幸運を掴んだ後、電気を流す電線を丸く囲む電磁波を発見し、その原理応用で発電機や電動機が発明されて世の中を一変させた。その揺るぎない信念は彼の属したキリスト教サンデマン派の円環に不思議な力が宿るとする信仰だった言う。発電機以前に電流?と調べると、少し前にVolta 伯爵(1745-1827)が二種類の金属板間での蛙の足の痙攣で電気の存在を知りその原理で化学電池をすでに発明していた、等々話題には事欠かない。
 Epock-makingの語は、昔経験した鉄鋼生産オンライン操業を再考中に浮かんだ。米国で誕生後20年余りの超高額で便利なIBM社の商用コンピュータが技術的にオンライン使用可能となり、先進の欧米でなく日本の新設君津製鉄所でS43年に初めてそれなしでは生産管理が不可能な操業を開始した。コンピュータ関係の記述に隠れ、それを使用して高度で安定した操業・整備現場に於いて重要な役割りを果たした人達の苦労は忘れられがちだ.

 信じがたいが、S30年頃では、八幡製鉄所約3.3万人の現場従業員の7割ほどの学歴が高等小学校卒(6~8)だったと推定される。(昭和38年以降全員新制高校卒以上採用)S40年代の経済急成長期にはその年齢層を中核に電子管使用など高度技術使用の最新鋭巨大設備群を操業・整備することになるがその間はわずか十年余りしかなかった。そのため八幡製鉄所ではS36年時点の2万名の在籍教育対象者の他、S39年までに採用した1.9万人も含め計4万人にも及ぶ対象者に独自の社内教育一大プロジェクトを展開して全員を新制高卒並の学力まで育て上げ、うち7千人超をS69年までに君津や他新製鉄所に基幹要員として転勤できた。S34年頃は、当時の週間48時間で3交代勤務の労働の帰途に週3日3時間3か月の座学を受講した。労使研究者が「経営側の過酷な搾取」と断じたのはもっともの面があるが、受講者の多くは極めて辛くはあった学べたことを喜んでいたと言う。その苦労の成果で高度成長を乗り切れて現在があるのも事実で、従業員の90%超の高出席率や家族ぐるみ(ローマ字を初めて見てYは両手を挙げた形と子供に習うなど)と職場ぐるみの熱心な応援とで達成した受講者本人や家族の強い心意気に頭が下がる思いがし、その多くが幽明境を異にされたいまその方々のご冥福を祈る。




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渕浪敏明

井上さん、昨日の君津システム部門45周年式典でご挨拶した渕浪です。当時は、このようなご苦労が皆さんあったのですね。私が、君津製鉄所に入所した時には、諸先輩方の盤石の基盤の上で、お仕事させてもらったと、あらためて思います。
by 渕浪敏明 (2016-12-04 11:15) 

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