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2017,07,18 宗教について【この頃思うこと-69-】 [この頃思うこと]

下記標題の文は同日付で一旦アップしたが読者からキリスト教以外の教えを曲解しているとの指摘もあり二日後に一応は抹消した。しかし、その可能性もあるが所詮千数百字で自分の宗教観を述べるにはどう書き直しても難しいく敢えて若干の語句訂正でで連番もそのままここに再度アップする。      

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 当ブログは30年ほど昔に1時間半の講義の中間に眠気覚ましとして始めた大学時代の時空を超えたはなしに始まる駄文だが300編ほど溜まった。このブログをScroll down して左側の任意のマイカテゴリーをクリックするとそれ毎にも読める。

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2017,07,18 宗教について【この頃思うこと-69-】

世の中一般に宗教は縁遠くなったようだ。それは、50年程昔には短命の早婚で多くは臨終を自宅で迎えたが、いまは長寿・晩婚・親子別所帯の豊かで多忙な生活に紛れ内省の機会も少なく、宗教は「非科学的で胡散臭く、叶わぬときの神頼み的」になっているからかも知れない。一方、鬱で悩む人が多いのも事実だ。

 幼児洗礼の私は戦中も教会に在籍したが、戦後の中・高校は科学一辺倒の無宗教だった。大学の内燃機関の授業で黒板一杯「色即是空」と大書した1時間の話に驚き人生を考えた。教会門前で幾度も逡巡の末、牧師への「奇跡話は信じられない」との質問に「まず信じることで、奇跡話は次第に意味が分かってくる」との答。一大決心で堅信(自身の信仰表示)を受けた。その後50年の現役生活の間、仏教の言う四苦八苦で何度も躓き苦しい時期もあったが、後半19年はキリスト教系の大学に移り信仰を保てけた。その間に棚上げの奇跡問題はどうなったのか

日曜学校の紙芝居で習った旧約聖書の1週間の天地創造、誘惑で知恵と原罪を得る話、など宗教は人類何万年もの間少数の賢人が、迷信のみの大衆にその時代で理解可能な具体的な例え話をしてきたと思い始めた。日本では一神教に「神」と被創造の「八百万の神」の「神」と同じ文字を用いたのが混乱の源泉とは思うが、被造物の自然や先祖を尊崇するのは日本的で良い風習だと思う。仏教には日本人の常識程度の知識しかないが釈迦は死後のための現世でなく現世を大事に生き抜くことと説いたのをこの5月3日のブログで書いた。

 キリスト教にはニケア信条(信教)があり、それにはキリストの生誕と死後三日目の肉体の復活の奇跡が含まれる。現実としては十字架後に逃亡した弟子達が三日目に改心し伝道を始め、2000年経ったいまも何億人もの信者の心に生きている(精神的な復活)のは事実である。誕生の奇跡は神格性を信じる以上は信じるしかない。「死後の蘇りと来世の命」に関しては信条では「待ち望みます」と書かれている。したがって私はこの信条を全て受け入れる信者の端くれだと思っている。

 聖書の一字一句が重要と進化論も否定する原理主義者がいる一方、新約聖書の学問的研究でキリスト自体の言葉と弟子達の見解を識別研究する信者も米国には存在する。勝手な解釈だがキリスト没後の数百年でその神格化のために信者達が書き加えた(奇跡物語)が結果的には信仰を妨げているかにも思えるほどだ。信仰は個人の問題で他の宗教には寛容とは思うが、イスラム教はモハメド当時の食べ物や風習を、技術や環境が当時と大きく変わった今も絶対視する点で多くの問題を孕んでいるかに私には思える。また、死は仏陀が使命を果たし老境で、キリストが若い伝道使命の途中だった違いにも最近気付いた。これまでの西欧社会の発展に寄与した科学は、急速に進み今ではビッグバン理論でマクロな宇宙と超ミクロとの世界を統一できる多次元の新理論の研究が進行中だが未知なことが多い。

 私も現役の70歳半ばまではともかく、80歳を過ぎる頃には、与えられた身体を維持するだけで大仕事になり、自分の人生を振り返って、今まで健康に過ごせた、宇宙37億年に比べるとホンの一瞬にもならない、しかしこの長い人生で与えられ使命の一端を果たせたことも、共有された多くの人々に感謝する気持ちで、無(限)から無(限)に帰るのが必然だと思うようになっている。


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