SSブログ

アワビ取りと艪漕ぎ【中学生の頃のはなし-8-】 [中高生の頃のはなし]

アワビ採りと艪漕ぎ【中高生の頃のはなし-8-】
 
  終戦翌々年1947年の旧制中学2年生の夏、私の部屋に下宿していた友人の帰郷について小さな客船で佐世保から当時は6時間ほど要した(いまでは高速艇で1時間半)小値賀島へ行った。風景も抜群だったが、何より食糧難の当時に新鮮な魚など腹一杯食べられたのは嬉しかった。綺麗な海での水泳を楽しんだある日、友人と漁師さんにアワビ漁へつれて行って貰った。伝馬船を沖にこぎ出した3人の男の海女(あま)さんが一組で、まずその一人が腰に採れたアワビを放り込む網袋、小刀風の棒と腰縄とを付け、海底に早く着くためドンブリと称した径30cmほどの縄の付いた石を抱え、ヒューヒューと大きな息を数回吸った後ザンブと海へ飛び込んだ。澄んだ海は数十mはあろうかと言う海底まで良く見える。上にいる漁師二人が底に着いたドンブリを引き揚げる間に、海底では岩に少し隙間を空けへびりついたアワビを棒でヒョイト剥がし網袋にいれる。船上の二人は腰縄の一端を持ち急いで繰り上げるべく合図を待っている。息がまだ大丈夫かと心配しながらの2分近くが経つ頃、海底からの腰縄引きの合図に二人が渾身の力であまを腰縄ごと引き揚げる。するとすごい勢いで海面から1mほど飛び出てその瞬間にヒューと驚くほどの音を立て息を吸い込む。それを2ないし3回繰り返すと、その人は真夏の炎天下なのにガタガタ震えながら船上の焚き火身体を温める。そのように3人ともが潜り終わるとその日の漁は終わる。一回潜るごとに数個以上は採っていたように思う。何でも棒を岩とアワビの間に入れ一瞬で剥がすのがコツで下手に指でも挟もうものなら離れなくて死に到るとか。そのアワビを船上で刺身にして食べたときの美味さと共に舌の上でアワビがピクピク動く感触はその漁の経験と共に70年以上も経ついまでも忘れられない。
  その頃の漁師さんの船はみな長さ10mもない木造の伝馬船(てんません)だった。漁師さんが船尾で船に横向きに立ち両手で握った艪(ろ)を身体ごと前後に動かすだけで舟がスイスイと進むのか不思議だった。自分でも漕いでみたくなり別の日に漁師さんに頼み漕ぎ方を教えて貰った。コツを覚えるまでは艪を海中に流すなど一苦労したが一旦覚えると後進こそできないが(源義経と梶原景時の論争と源平の故事にあるが)真っ直ぐや左右への方向変換も力の入れ方で自由自在にできる。進む理屈は艪の動きを考えると簡単だ。 艪は舟の後部(艫:とも)の船首に向かい左に付けた球状の支点上に、それが埋まる穴のある棒状で先の両平面が突翼面状となった櫂(かい)をはめ込み両平面部分を海面下に入れる。立った姿勢で身体全体で櫂を押すと支点で動きが逆転しその突翼面が水を平面が手前に切り船の右前方向の推力が生じる。向こうに行きついた所で手首を返して水中の翼面を上下ひっくり返し身体ごと引っ張るとその下の面が水を切り左に進む。立ったまま手首の捻りを変え全身を前後に動かすだけで交互に舟の左右の推力に自由に推力に変換できる誠に力学の理に叶った構造だ。ボートは座ったままで主として腕と上半身の引く力のみを船の推力に変換するが、艪を漕ぐ場合は立ったまま腰も含め重心と全身の力を支点を通してより効率良く前進の力へ変換できるので、もっと楽でスイスイと進む合理的なものだ。しかし、それは廃れいまでは時代劇の映画やテレビでくらいしか見られなくなったのは残念だ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。