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西暦115年の古代ローマ人の生活といまの生活 【この頃思うこと-51-】 [この頃思うこと]

西暦115年の古代ローマ人の生活といまの生活 【この頃思うこと-51-】
 毎日の生活は十年一日のように感じるが幼児期と比べると信じられない程変化している。一世代内でもそうだから先祖を辿り仮に100年で4世代8人、1万年で800人、人類の誕生から10万年で8000人のご先祖様の生活を考えて見たくもなる。日本の2000年昔は縄文時代で記録はないが最近の集落跡の遺跡発掘でイメージが浮かび始めた。
 その頃のローマ帝国での生活様式は記録が多く、また西暦79年の噴火で埋没したポンペイ遺跡の発掘などで当時の生活をかなり想像できる。直近のポンペイ訪問後友人からAlbert Angela著「古代ローマ人の24時間」2010年刊を紹介され読んだのを再読した。著者はイタリアで著名なテレビキャスター且つ科学ライターで、科学的調査結果に基づきローマ絶頂期時代の西暦115年のローマ人生活の一日を、時刻・社会の各階階層場所ごとにテレビの映像のように描いた、興味が尽きない図書館で借りてでも一読に値する425頁の本だ。
 その関連部分のみを要約すると、当時のローマ帝国の人口は数百万人、ローマ市内は100~150万人で、一部裕福な人は5~10人ほどの奴隷を有しドムスと称するポンペイで見るような一戸建ての家に住んだが、大多数はインスラと言う道路で四辺を囲まれた一画に、外壁が煉瓦の、驚くことに6~7階もある、木造高層集合住宅に住んでいた。残存の土地台帳ではドムスはわずか1797戸でインスラは4万6602棟だったとある。インスラには家主がいてプロの管理人に2階から上を5年契約で貸しその代償として1階の賃料だけを求める。1階は商店が多く2階はテラス付きの裕福な住まいで、3階以上は又貸しの連鎖で階の上ほどほど狭く非衛生で貧乏人が住んだ。何故ならエレベータは勿論、水道・トイレ・キチンがなく上層ほど構造上と火事などの危険を伴うからで、飲み水は持参で、トイレは溲瓶(しびん)に溜め翌朝持ち下りた。したがって又貸しの連鎖である3階以上はただ寝るだけの場所で当時のローマ人は、ドムスやインスラの2階の住人を除き、巨大なキャンプ場での生活だったと言える。つまり家は寝るだけのテントで食事・トイレ・入浴は全てが家の外の公共施設を利用したので昼間の道路は大変な人混みだったそうだ。労働は日照時間の6時間くらいで平均寿命は男41歳、女は29歳で出産時の高死亡率で短かった。
 非人道的な奴隷の労役が当時は合法的で、それが裕福な家だけでなくインスラも含め給水や物運搬など当時の社会構造には不可欠に組み込まれていた。その奴隷には寝る場所すら廊下の一隅と言った家畜にも似た悲惨なものだった。いまではその奴隷が果たした労役を電力器機に、洗濯→洗濯機、調理→電子レンジ、給水→水道、溲瓶運び→水洗トイレ、掃除→掃除機、湯沸し→給湯器、理容→シェイバー・ヘアドライヤー、3階以上の運び上げ→エレベーター、などと言った具合に代替している。つまりいまの我々の生活は、当時の奴隷使用と言う非人間的な部分を、一部の裕福な家のみでなく全ての家で「電気」動力の一種のロボットが担うことで当時より遙かに便利な生活ができる訳で、まさに本ブログに先月書いた「電気」さま、さまだ。
  しかし、人間のより楽な生活への欲望はいまも2000年前と変わっていないようだ

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