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製鐵業とコンピュータ・システム【この頃思うこと-55-】 [この頃思うこと]

2017年以降は http://www.yoshinsukie.com/ のブログ欄にも掲載する。2016年の分まではこのブログで見てください。新しいホームページでも随筆欄でそのカテゴリー別にまとめつつあります。  

製鉄業とコンピュータ・システム【この頃思うこと-55-】
   一昨年(2015)末頃、日本鉄鋼協会「歴史を変える転換技術研究フォーラム」運営委員の方から「従来話題にした転換期は技術面でそれに管理面も加えたい」との話があった。私より適切な人が居られる筈と答えたが昨年初夏に再度打診された。理由は私の、ブログ表題分野での留学や海外協力など当該分野の揺籃期からの関わりと聞いた。戦後10年前後は渡航が困難で、米国政府全額支給で留学しその後も欧米に出張調査できたことは同時代者では数少なく、社内での計算機の新利用に取り組んだ経験は別として、その海外体験の報告義務はあるようにも感じた。そこで私はごくその一部をシステム面から経験したに過ぎない一歯車の前提でお引き受けした。

   社史・所史・参考資料と私の著作などの再調査に数ヶ月を要し、講演を1時間半に納めるのに呻吟した。結局PowerPoint 30画面の電気紙芝居で、主題は「日本鉄鋼業における製鐵所管理システムの転換期(1965~1970年頃)」、副題を「新日鐵・八幡製鐵での一管見」とした。主論点を「世界初のオンライン生産管理がなぜ鉄鋼の先進国の欧米でなく日本の八幡製鐵君津製鐵所だったか」に絞り、孟子の「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」の観点で纏めた。

   講演の要点を記すと、「天の時」では鉄鋼業の最盛期は欧州では1800年代、米国では1900年代前半は鉄鋼が産業の王者で、1965年を最盛期に1980年代には衰退期に向かう。それに比し日本は1960年頃から経済急成長期に突入しその後20年間で鉄鋼の生産が5倍の1.1億トンに急成長、各社が新鋭臨海製鐵所を林立させる幸運の時期だった。またまさにその時期に鉄鋼製造工程上の技術革新(転炉・連続鋳造・プロセスコンピュータによる制御)に遭遇し各社が競ってその新製鐵所で導入取り組んだ幸運もある。加えて1962年の大不況で臨海製鐵所建設時期の2年ほどの遅れさえも、バッチ処理のみだった計算機でオンライン可能なIBM360の発表が1964年と君津の製鐵所建設時期(1967-68年)にちょうど時期が重なったと言う幸運に恵まれた。まさに日本はこのように日本の「天の時」は“幸運の重なりだった”と言えよう。

  「地の利」でも、欧米では製鐵所は原料の関係で内陸立地だが、日本では臨海製鐵所を消費地近くに埋立造成し大型輸送船で高品質・低価格で入手できたこれも極めて有利だった。

   加えて「人の和」では、数年間の海外での技術協力でその差が実感できたことだが、当時の欧米に比し日本は、終身雇用 転勤の可能性 臨海製鐵所の林立で新規管理職場とポストの増大とそれに必要な人材供給のための超大規模社内教育実施 急成長に起因する若年3交代勤務者の採用難(無人化の必要制) 大部屋制による容易な情報交流 事務・技術・現場との密着性 事務用とプロセス用コンピュータ技術の交流 等々、国内勤務のみでは当然として気付けない強い人の和があった。それに、何よりも皆が若かった。
 
君津製鐵所がトップバッターだったことは、国内各社とも実力的にはその前後で実現可能だったかも知れないが、世界初のオンラインが不成功なら何千億の設備投資が十分機能できない大きなリスクに踏み切ったトップの大英断とそれに応え必死で製造各設備とその生産管理システム稼動を期限内に何とか実現した多くの従業員の努力の結晶と言えよう。

 私の鉄鋼業での31年間大学でのその経営学的観点からの研究19年間の総まとめでもあった。


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