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「炭水化物が人類を滅ぼす」とシステム思考【この頃思うこと-57-】 [この頃思うこと]

「炭水化物が人類を滅ぼす」とシステム志向【この頃思うこと-57-】

 50数年前になるが、留学時の米国で草創期だったシステム制御工学を研究していた頃、当時の体験から「米食」と「肉食」の違いとして類似の蒸気ボイラーの燃焼工学と対比し
http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/2012-01-12に記述したように、人間のエネルギー生成消費と工学的燃焼理論との関係には興味を持っていた。加えてこの10数年間は糖質制限をしたので、その賛否両論の書物はかなり読んだ。それらは当然ながら栄養学的であり納得する面もあるがその多くは両論とも各個性を持つ人体を複雑な総合システムとしてではなく、医学面から見たエネルギー生成・消費の基礎計算面を中心に論じてと思える。そして現状のところは可とする少数論者が、優勢な否意見の多い学界や専門医を啓蒙する立場のようにも映る。

 その可否は別にして、それら書籍のなかでも標記の夏井暁著光文社新書の内容は、「システム思考」(20世紀に入りニュートン・デカルト以来の専門化・細分化へと一方的に加速化するのに警鐘を鳴らし、同時に事象を広く全体的に捕らえる必要性を主張する思考法)のことばこそ皆無だが、その思考の産物として圧巻と言えよう。専門化・細分化は、理工学・社会学など社会全般に及ぶが、医学でも顕著で、最近までの病院では「内科」「外科」などの大区分でよかったが現在はそれが「消化器内科」「呼吸器内科」など細分化専門化されている。そのこと自体は望ましとしても、同時にその諸器官が部分をなしている当該個人の人体全体も重要だと説くシステム思考はとくに医学に於いては益々重要性を増すと思われる。近くの病院にも2年ほど前から緩和科ができ患者の問題を良く話し合い対応するようになったと言うだがその思考に基づくものだろう。

 通常、この種の書物では、ある「仮説」を立てその論証に広範囲な事象研究や文献調査を試みるのが常だが、本書ではその「あとがき」に記述通り、敢えてリスキーを承知の上で次々と新しい仮説を考えて発表する立場をとっている。本書の初めの80頁ほどは糖質制限に関する実証例などだが、Ⅴ章以降残り300余頁は、外科専門医の著者が、時空を超えた専門外の「太古からの気象や地殻の大変動、それに伴う地球環境変化生命の起源と動植物の壊滅・生き残り、動植物の進化、文化の変貌と農耕の誕生、人類の食と歴史、果ては資源問題まで」と25冊の各分野にわたる文献を読破し、そのそれぞれに「可」する自説を支援する事実を見つけながらその全体をまた一つの仮説援護に仕立てたのが興味をそそる。その多くの個々の部分、例えば同じ草食でも牛と馬では消化消化器の構造とそれに寄生する細菌が異なる等々は、読者が長期間かけて断片的にテレビや書籍で知見可能だが、それらを共通のテーマに一気に読める様にまとめているのは見事だ。その中には初めての個々の知見も多々見られる。私にとって動物の血糖濃度がその筋肉の使用方法で異なり鳥類は200代後半から300mg/dlで肉・草・雑食の動物のそれは100代、亀トカゲなど10代とかなどはその一例だ。

 ただ宗教と食物に関するテーマがないのは残念だが、それを除くと言及は広範囲に亘っており短時間で広範囲の知識が再整理できた満足感はある。論の可否に関わらずこだわらず多くの分野に興味は持つ方にはまず一読に値すると思った。
 

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富士山と駿河湾【この頃思うこと-56-】 [この頃思うこと]

富士山と駿河湾【-この頃思うこと-56-】

 高所にある家の南向きガラス戸東側3/1ほどは日本平の丘陵で伊豆半島は全く隠れ、南西側の2/3は靜岡の街並みとその5kmほど先に海が広がりそれが西方の焼津やその先まで続いていて駿河湾内にいるとは思えない。しかし東へ20キロも行くと清水や興津の海岸から北東の富士山と西へ伊豆の山々の連なる海岸が見え駿河湾にいるこが実感できる。

 先日東京の娘夫妻の誘いで、快晴だし清水港から土肥(トイ)までフェリーで渡った。清水湊と聞けば私の年代は「お茶の香りと清水次郎長」を連想するが、それが東海地方とは思っていたものの靜岡に隣接しているとは知らなかった。新幹線が通る前に勤務先の北九州と東京本社間の出張で何十回となく夜間に寝台車で東海道線の同駅を素通りしていた筈だが真夜中だし気付かなかったのだ。また幼時を過ごした佐世保で見た銭湯一面の壁画で馴染みだった三保の松原越えにそびえる壮大な富士山の実物が清水港への入り口の小さな半島の外側にあるのを知ったのもこの20年ほど前だ。

 ここでの生活は7年目を迎えるが、富士山は毎日2~3キロの散歩道の2箇所で見られる。とは言え、5月を過ぎ夏場には雲と湿気に遮られ見えない日が多いが、見えても冠雪がなく普通の高い山の感じだ。しかし10月も半ばを過ぎての冬場には青空にくっきりとその姿を現し「語り継ぎ言い継ぎ行かん富士の高嶺は」と昔の人が詠った通り霊峰の感じさえする。 このような馴染みの富士だが、清水港を発って船上から眺めた霊峰は方向により刻々と表情を変え1時間もの間見飽きることがなかった。

 また、船から見る伊豆半島西岸は海外線まで山が迫り断崖になっている。沼津から戸田(ヘタ)・土肥・堂ヶ島と平地は少なく車は殆どが海岸でなく山のなかや嶺を通っている。温泉もあり観光地としては勿体ない気がする。半島の東海岸も山が迫っているが東京に近いせいか車は海岸線沿いの温泉地熱海・網代・伊東・下田を通り観光地として賑わっている。我々は土肥について山のなかが殆どだったが北上し戸田(ヘタ)へ向かった。今回初めて戸田港の入り口の堤防まで行ったが駿河湾を望んでの富士も良かった。
 途中で撮った素人写真だが駄文での描写よりはイメージが湧くと思い載せる。なお戸田海岸からの写真で左端の黒い雲は翌日の朝刊によると富士川近くの製紙工場の火事だった。
  

  清水港からの富士        駿河湾からの富士        戸田海岸からの富士清水港からの富士  戸田からの富士 駿河湾の富士 

 

 


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