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誕生日 Compleanno【この頃思うこと-63-】 [この頃思うこと]

誕生日 Compleannoこの頃思うこと-63-】

 今日は私の誕生日だ。ついでで言うのも無礼至極だがエリザベス女王とローマ市の誕生日も同じ日のようだ。英語では誕生日の人には文字通りHappy Birth dayと挨拶する。しかし、40数年前に3年近く生活したイタリアでは誕生日を迎える人には”Buon compleanno”と言っていたのをふと思い出した。英語から語源を辿るとcomplete(完結する)anniversaryanno(一年)で、「さようなら」がgood-byの意となった類の「一年の完結お目出とう」が「誕生日お目出とう」の意に転じたと思われる。念のためe-mailでイタリア人の旧友に確認したら「その通りで誕生日はその人の一年が完結し次の新たな歳の始まりを祝う日だから」だと返事が来た。ついでに私が少し囓(かじ)った言語を調べてみるとラテン語系のフランス・ポルトガル・スペイン語では同じ発想で似た表現だがドイツ語・中国語は英語・日本語と同じ発想だ。その過程で私自身も高校までは「満の歳」ではなく「数え歳」で過ごしそれにまつわることを幾つも思い出した。「数え歳」で加齢するのは全員が共通の正月元日のみで、家族揃って「新年お目出とう」の後でそれぞれが「今日で何歳になりました」と報告したものだ。したがって誕生日そのものは当人が生まれた日以外の意味はなかったはずだが、事実は、昨今の満年齢で加齢する当人を囲んでバースデーケーキとご馳走で誕生日を派手に祝うのより何倍も嬉しい「ハレ」の経験を家族一同で共有していた。と言うのも、私の幼年時代の昭和十年代後半の社会には、現今に見られる毎日が「ハレ」のような豊かさはなく、社会全体の日常が「ケ」のつましい毎日だっただけに、多くの家庭では、少なくも我が家では、その加齢には関係ない筈の家族の誰かの誕生日を祝って盆・正月・祝祭日と同じく家庭内の皆にとって「ハレ」の日となり「ぼた餅や赤飯」などのご馳走が食べられよそ行きの服装を着られる大変に嬉しい日となったのだった。私のすぐ上の兄とは4年違の全く誕生の月日が同じだったから誕生祝いは二人一緒で済まされ、一日でも違えば二日は楽しめたのにと姉・兄から恨みがましく言われ自分も残念に思ったほどだ。

 昨年までと違って、この歳にもなると「よくぞこの一年を健康に生き延びたものだ。御心に沿うのなら今日からの新しいもう一年も完結したい」というラテン語系の発想の方に実感が湧く。「これからの一年間を、衰えを感じる身体で、今さら社会貢献などは望むべくもないが社会への迷惑を可能な限り少なくし、自身の少しの努力で達成可能な程度の心身の目標を持ち続け、毎日をゆったりとした気分でその目標達成に満足し、それが可能な備えられた道ならば健康寿命を全うすべく毎日少しでも進歩させ」ながら、死も生がある以上必定と受け入れたいと思っている。このブログ書きもその一環の最初だが、当人の自己満足とひきかえに読まれされる人に迷惑をかけていることだろうが、それはcompleanno に免じてお許しを乞いたい。

 

 

 


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ピエタと父親・母親・子供【この頃思うこと-61-】 [この頃思うこと]

ピエタと父親・母親・子供【この頃思うこと-61-】

 身近な人の死はこの世にある人に悲しみを残す。祖父や弟の死は幼な過ぎて覚えていないが、小学校にあがる前に多くの話を聞かせ面倒を見てくれた祖母は、私が8歳のとき病に伏し家族中が枕元に集まって皆で「末期の水」を口に含ませ最後を看取った。82歳だったので悲しかったが諦めもついた。父母のときも悲しかったが高齢で覚悟はできていた。

 しかし私が66歳のとき30歳も若く召された長女の場合は、逆縁でもあり私達家族に大きな悲嘆を長い間残した。その死の前に、以前に居住した米国加州の学界に参加を予定していたので、傷心を少しでも癒そうと家内と二人でそれに出かけ、帰りに娘と一緒にと考えていた、そして娘も幼時を過ごした、欧州を回った。娘の死の打撃は私より家内の方が強く永続して、私が仕事に多忙なせいなのか家内に比し非情なせいなのかと思ったりするほどだった。

 その旅の帰路で立ち寄ったフランクフルトの教会入り口にピエタがあった。有名なローマのサンピエトロ寺院の、ミケランジェロによる聖母マリアが十字架から降ろされたキリストの身体を抱えている像と同じ主題の彫像で、私も聖母の悲しみに同感して立ち止まったが家内はしばらく泣き崩れていた。聖母の「抱えている死せるキリストに自分の身体の一部が死に絶えた気持ち」を見出し耐えられなかったという。確かに男性と違い女性は子供の肉体を自分のものとしている時期があり、自分の子供に対する思いが強いのかも知れない。

 娘の他界後の6年間に、所属していた大学の学生4名が亡くなり、学部長や学長として身につまされながら葬儀に参列しお悔やみを申し上げた。いずれも予期せぬ事故死だったので両親の嘆きはなおさら大きかったが、どの場合も共通して父親よりも母親の悲しみが比較にならないほど強く言葉のかけようもないほどの取り乱し方だった。このことから女性が男性より感受性が強いのではないかとも思われた。しかしそれはピエタで気付かされた、より本質的な、女性が男性と違い子供を自分の身体の分身としても感じていることによる方が大きいようにも思えた。

 一般に親と子との関係では、男親の方が淡白で理屈っぽいが女親は理屈にまして愛情に溢れていると言われ、私の場合もそうだと思う。加えて日本の男性(父親)はシャイで愛情表現が旨くない。このピエタの前で感じた性による違いで私が薄情なのかととの思いも薄められたような気もしている。これを読まれる方が男親・女親・子供の立場からどのような見解なのかを知りたい気がする。


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私の読書【この頃思うこと-61-】 [この頃思うこと]



私の読書【この頃思うこと-61-】2017,4,15

 記憶は二種類の体験で蓄積されるように思える。一つは自分が実在した時間・空間のなかで直接に五感全体を通して得られる狭義の体験で、もう一つは五感のうちのとくに視聴覚から得る狭義の疑似体験とも言うべき広義の体験だ。狭義体験では時間・空間的に限られているが広義の体験はそれらに束縛されず自由自在である。記憶ではそれらが渾然となって広義の体験となっているようだが読書に負うところが意外に大なように思われる。なお、疑似体験では最近は読書よりもTVなどによることが多くなったが、私個人にとって読書は積極的だがTVなどは受動的な気がする。

 私の読書量は少なくその期間・範囲も限られている。高校・大学・留学まではそれらの準備や学習を言い訳に殆ど読書はしなかったが、ただ大学2年の夏休40日間は朝から晩まで近くの大学図書館から世界文学全集を借りて有名な小説の多くをを片端から文字通り乱読した。それを通してその國の社会事情を想像することで世界に興味が広がった気はするがとくには何も記憶に残っていない。会社勤務期間は当時最先端のコンピュータ使用のシステムの開発に追われその関連以外の分野の本には殆ど無縁だった。

 ただ、南イタリアに駐在した3年近くは例外で、日本とは手紙も1~2週間、電話は2日かかったし、時間的にはコンサルティングが仕事で夕方以降は自由になったので持参した「三国志」や「坂の上の雲」の類の幾つかの限られた手持ちの本を何回となく読み返しいまでもそれらを見ると内容が思い浮かぶほどだ。

 54歳で早期退職して大学へ移り、工学系の修士が準備もなく経営学部に籍を置くこととなった。最初の一年は授業を週に1時間半の3コマにして貰い、同僚が大学院やその後の研究で読んだというアメリカ経営学の専門書・論文など原書も含め31年分をキャッチアップすべく朝から晩まで必死に読んだ。その間の実務経験に照らしかなりの部分は充分納得できたが、難解な箇所や重要な点はノートに書き写した。それ以降も専門書は読み続けたが、中には実務を通して個人的体験としてしか残らない暗黙知を誰にでも伝わる認識知としてこのように理論的に記述するのかと驚いたものもあり、それらは自分達がしてきた仕事の理論付けや論文まとめに極めて役立った。

 研究分野が日進月歩だっただけに74歳近くの退職後は専門を離れ海外生活で狭義の体験を楽しんだ後、いまは興味の赴くまま多分野の本を楽しんでいる。 本を読み始めると全体に何が書いてるかに興味が湧いてくる。そこで最初の一回は速読し全体を見るが、私の頭のできが悪いか訓練が不足か、その両方だろうが一回だけでは充分に理解はできない。そこで興味あるところや不明の箇所は後で何回も読み直す。「宇宙は何でできているか」などは大学で学んだ物理の続きで多くが不明ながら何回か読んでいると「そういうことか」と少しずつわかってくる。そのようにいろんな本を忘れた頃に読み返すのも醍醐味だ。歴史ものや経済関連の本も友人から紹介されると読んでは、衰えた体力の維持と並行して、社会と直接関わりのない現状で他人に迷惑をかけない疑似体験を楽しみながら記憶を少しずつ増やしている。




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