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私の読書【この頃思うこと-61-】 [この頃思うこと]



私の読書【この頃思うこと-61-】2017,4,15

 記憶は二種類の体験で蓄積されるように思える。一つは自分が実在した時間・空間のなかで直接に五感全体を通して得られる狭義の体験で、もう一つは五感のうちのとくに視聴覚から得る狭義の疑似体験とも言うべき広義の体験だ。狭義体験では時間・空間的に限られているが広義の体験はそれらに束縛されず自由自在である。記憶ではそれらが渾然となって広義の体験となっているようだが読書に負うところが意外に大なように思われる。なお、疑似体験では最近は読書よりもTVなどによることが多くなったが、私個人にとって読書は積極的だがTVなどは受動的な気がする。

 私の読書量は少なくその期間・範囲も限られている。高校・大学・留学まではそれらの準備や学習を言い訳に殆ど読書はしなかったが、ただ大学2年の夏休40日間は朝から晩まで近くの大学図書館から世界文学全集を借りて有名な小説の多くをを片端から文字通り乱読した。それを通してその國の社会事情を想像することで世界に興味が広がった気はするがとくには何も記憶に残っていない。会社勤務期間は当時最先端のコンピュータ使用のシステムの開発に追われその関連以外の分野の本には殆ど無縁だった。

 ただ、南イタリアに駐在した3年近くは例外で、日本とは手紙も1~2週間、電話は2日かかったし、時間的にはコンサルティングが仕事で夕方以降は自由になったので持参した「三国志」や「坂の上の雲」の類の幾つかの限られた手持ちの本を何回となく読み返しいまでもそれらを見ると内容が思い浮かぶほどだ。

 54歳で早期退職して大学へ移り、工学系の修士が準備もなく経営学部に籍を置くこととなった。最初の一年は授業を週に1時間半の3コマにして貰い、同僚が大学院やその後の研究で読んだというアメリカ経営学の専門書・論文など原書も含め31年分をキャッチアップすべく朝から晩まで必死に読んだ。その間の実務経験に照らしかなりの部分は充分納得できたが、難解な箇所や重要な点はノートに書き写した。それ以降も専門書は読み続けたが、中には実務を通して個人的体験としてしか残らない暗黙知を誰にでも伝わる認識知としてこのように理論的に記述するのかと驚いたものもあり、それらは自分達がしてきた仕事の理論付けや論文まとめに極めて役立った。

 研究分野が日進月歩だっただけに74歳近くの退職後は専門を離れ海外生活で狭義の体験を楽しんだ後、いまは興味の赴くまま多分野の本を楽しんでいる。 本を読み始めると全体に何が書いてるかに興味が湧いてくる。そこで最初の一回は速読し全体を見るが、私の頭のできが悪いか訓練が不足か、その両方だろうが一回だけでは充分に理解はできない。そこで興味あるところや不明の箇所は後で何回も読み直す。「宇宙は何でできているか」などは大学で学んだ物理の続きで多くが不明ながら何回か読んでいると「そういうことか」と少しずつわかってくる。そのようにいろんな本を忘れた頃に読み返すのも醍醐味だ。歴史ものや経済関連の本も友人から紹介されると読んでは、衰えた体力の維持と並行して、社会と直接関わりのない現状で他人に迷惑をかけない疑似体験を楽しみながら記憶を少しずつ増やしている。




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