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ピエタと父親・母親・子供【この頃思うこと-61-】 [この頃思うこと]

ピエタと父親・母親・子供【この頃思うこと-61-】

 身近な人の死はこの世にある人に悲しみを残す。祖父や弟の死は幼な過ぎて覚えていないが、小学校にあがる前に多くの話を聞かせ面倒を見てくれた祖母は、私が8歳のとき病に伏し家族中が枕元に集まって皆で「末期の水」を口に含ませ最後を看取った。82歳だったので悲しかったが諦めもついた。父母のときも悲しかったが高齢で覚悟はできていた。

 しかし私が66歳のとき30歳も若く召された長女の場合は、逆縁でもあり私達家族に大きな悲嘆を長い間残した。その死の前に、以前に居住した米国加州の学界に参加を予定していたので、傷心を少しでも癒そうと家内と二人でそれに出かけ、帰りに娘と一緒にと考えていた、そして娘も幼時を過ごした、欧州を回った。娘の死の打撃は私より家内の方が強く永続して、私が仕事に多忙なせいなのか家内に比し非情なせいなのかと思ったりするほどだった。

 その旅の帰路で立ち寄ったフランクフルトの教会入り口にピエタがあった。有名なローマのサンピエトロ寺院の、ミケランジェロによる聖母マリアが十字架から降ろされたキリストの身体を抱えている像と同じ主題の彫像で、私も聖母の悲しみに同感して立ち止まったが家内はしばらく泣き崩れていた。聖母の「抱えている死せるキリストに自分の身体の一部が死に絶えた気持ち」を見出し耐えられなかったという。確かに男性と違い女性は子供の肉体を自分のものとしている時期があり、自分の子供に対する思いが強いのかも知れない。

 娘の他界後の6年間に、所属していた大学の学生4名が亡くなり、学部長や学長として身につまされながら葬儀に参列しお悔やみを申し上げた。いずれも予期せぬ事故死だったので両親の嘆きはなおさら大きかったが、どの場合も共通して父親よりも母親の悲しみが比較にならないほど強く言葉のかけようもないほどの取り乱し方だった。このことから女性が男性より感受性が強いのではないかとも思われた。しかしそれはピエタで気付かされた、より本質的な、女性が男性と違い子供を自分の身体の分身としても感じていることによる方が大きいようにも思えた。

 一般に親と子との関係では、男親の方が淡白で理屈っぽいが女親は理屈にまして愛情に溢れていると言われ、私の場合もそうだと思う。加えて日本の男性(父親)はシャイで愛情表現が旨くない。このピエタの前で感じた性による違いで私が薄情なのかととの思いも薄められたような気もしている。これを読まれる方が男親・女親・子供の立場からどのような見解なのかを知りたい気がする。


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