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私の生きた時代【この頃思うこと-77-】  [この頃思うこと]


このブログは本人の希望により、このまま見られるようにいたします。

また、ホームページも開設しましたので、そちらも今後も継続して見られるようにしますので、よろしかったらあわせてご覧下さい。

 

私の生きた時代【この頃思うこと-77-】

 

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201710月初め頃に、自宅で口述筆記したものです。ここまですらすら話して、その後は結局、書きかけのブログを仕上げることを優先にしたので、続きを聞けぬまま、途中で終わってしまいました。

本人が話していたのは、自分は面白い時代に生きた。

敗戦後の日本からアメリカに渡り、はるかに進んだ社会を見ることが出来た。その後、日本の高度成長期を経験し、今度は欧州に仕事で行って、そこの文化や社会を見ることが出来た。

一つの時代に生きながらにして、いろいろな体験が出来た。そういうことが頭をめぐっているので、最後のブログにしたいと言っていました。タイトルは、本人が構想していた内容から口述筆記した家族がにつけました。以下、書きかけですが、そのまま掲載します。

 

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宇宙が38億年前誕生に比し、人の人生のせいぜい100年は、一瞬にも過ぎない。人の管見は空間三次元と、時間の四次元で記憶される。管見は、限られた空間、直接体験できるのは、身のまわり数メーターに過ぎず、あとはTV読書で疑似体験を生かしているにすぎない。私が卒業、入社したのは、1956年で、戦争ですべてを消失し、それからの20年間で、急速な発展を遂げた年である。私の年代前後5年は、敗戦で海外に出ることはおよそ不可能だった。私は幸運にも、渡航費往復と滞在費用、授業料一切を米国政府から支給され、二年目は会社の派遣を得ることができ、1958年から60年まで2年間を、当時最盛期だった米国に留学できた。その経験で、後ほど3年間第一次第二次産業革命の盛りを過ぎた西欧に、計3年間滞在し、それを引き継いだ米国の200年あまりの第一次第二次産業革命の最盛期を過ぎ、第三次(情報)産業革命が1950年から始まった米国での揺籃期で

 

 


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住居について【この頃思うこと-76-】   [この頃思うこと]

 

私の場合日本での他に2年半以上をアメリカとイタリア、短期間ながら豪州やNZで借家をして住んだ。

 

 1958-60年は百万都市クリーブランドの大学院にいた。旧市街の大学や公園近くの、使用人用も含め十部屋以上ある大豪邸地区に、裕福な有色人種が入居し価値下落前にと郊外転居した後、学生向けに格好の貸部屋群となりそこに住んだことや、大学院の友人2人とイタリア人街の2食付き下宿もし、最後の1年は留学して来た今の家内と結婚し人種差別で苦労したがアパート住まいもした。

 

 住まいについての1950年後半に就職した我々の年代はその時々で大きく変わった。就職し結婚しても住宅難で、企業では社宅制度があったが勤続年数が不足でそれではと営業開始直後の公団住宅と思ったが、抽選で入れず借家しかなく一軒家を購入するなどは想像もできなかった。その後高度成長期には社宅も充実したが1973年の石油ショック以降は世の中が一変し、社宅制度から持ち家制度に変わり、退職金返済の借金で夢だった自分の持ち家が初めて実現した。私の場合も51歳で1976年に文字通り「終の住処(ついのすみか」を得た。しかし、早期退職で関西の大学に勤務することとなり、今度こそ終の住処と一応老後も考え駅から歩ける限度で高台の景色も楽しめる1軒にこれも退職金を抵当に何とか建て、庭や垣根など楽しんだがそれらも次第に苦なってきた。74歳で退職した後、2010年に静岡のタワービルの高層階に転居し、終の棲家(ついの住みか)として静岡市内の最寄り駅から徒歩5分という便利な立地にあるマンションを選び、今にいたる。

 

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個人の住居は時代別、同時代でも居順の別同国でも社会階層で異なる。私達1930年代前誕生者は戦争での壊滅で海外渡航が不可能だったが私は米国政府の全額支給などで5860年を米国で、その縁で1973年以降西欧も含め計6年弱海外生活を経験できその折り時空4次元の体験した管見を箇条書きで簡略紹介する。

 

 昭和38年までの日本での管見;戦後戦火で大中都市は焼け野原、極端な住宅不足 郊外の焼け残りか急造バラックの部屋ごとに数所帯住居 1950年代後半から公団住宅の賃貸が始まるも抽籤で困難 企業は社宅制度対応だが勤務年数制限で入居困難だった。

 

  米国での195860に留学のCleavelandの大学院生としての管見体験箇所:a使用人用も含め4階建て20室ほどの1大邸宅の旧雇い人用1室の間借り(旧市街一軒で外れの大学・公園に面した大豪邸街の一画(非白人の転入で克ち暴落前に郊外へ退去移転の空豪邸群)b同級生とのイタリア人街の2食付き間借りc中流家庭の一室(道路側100坪程テラス住居で裏庭200坪ほどの個人住宅新市街周辺にドーナツ型に集中)d結婚し旧市内2室アパート住まい(1軒屋の借家非白人で差別入れず)。管見場所はa低所得者:旧市内中心部の赤煉瓦アパート(黒人街)、b高所得者:裕福なユダヤ人街など c中所得者:中国人街伊人街など、低所得者:旧市街中心部の黒人 街同じ宗派でも白人と黒人で全く別。

 

 

 


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人類第三の文明渦中の「管見」【このごろ思うこと-75―】 [この頃思うこと]

*2017.10.21に書いたブログに訂正&追加したものです。

 

今年の115日に鉄鋼協会から1時間半の鉄鋼業における製鐵所生産管理システムの技術的革新に関する講演依頼を受け、その際文献にあることでなく実体験を主に講演して欲しいとの要望を受けた。11年前の引退までに書いた学術論文は実体験でその実体(Real)の検証として関連文献を参照していたので、文字通り管見を主に論じた(そこでは管見の定義を特定の場の場組織・時期に狭い範囲で潜望鏡で管見する如く)と改めて定義した程だ。しかしそれは文献やメディアによる知見ではなくなく実体験の確認の意味だった。最近考えるとその確認は文献やメディアによる仮想(Vertual)を通しての知見が無視できなくなった程強くなった事実もある。

そこで現在の我々はトフラーの言う第3の文明の渦中で管見の意味が変わっているのも気付かない程の渦中にいるのかもしれないと思い始めた。

 トフラーは人類文明の変革を、第1次文明期として採取、狩猟、漁労、牧畜から数万年もかけて農業文明へと変革して来た。それを16501975年頃のわずか400年弱の短期間に西欧で生じた第2次文明期革命を一次動力革命、第二次技術革命で実現した。そして米国で19501960年の10年間の短期間に起こり始めた第三の文明は単なる技術革命でなくコンピュータエレクトロニクス、宇宙学、海洋学、遺伝子学など技術が技術的基盤を提供する新しい文明転換期の渦中に突入した状況で、その新文明への転換は、例えば自動運転のようにコンピュータ自身が主体となりGPSも結合するなどの渦中に放り込まれ予測以上の急速転換に驚いているほどだ。

 トフラーの言う人類の新文明への移行期は19501960年、まさにコンピュータの揺籃期でその終わり頃の2年間に私は幸運にも米国留学中で日本との十年の差は仮想ではなく現実として管見でき、鉄鋼産業での応用では追い越せたが情報産業全体では今に到るも取り戻せずに居る。それに関連し第三の文明期に移った後の管見の意味も仮想(Vertualと現実の(Real体験の意味で変わりつつあると思える。私はこれまでの論文関連では第一次文明時代には人類は生まれた土地の周辺での文字通り身辺の現実的な(Realな管見のみを取り、文献で得た知識は学術論文の現実(Real性の関連補強の立場を取った。しかし第二期人類文明期の今、文献やTVで現実と見なす可能があればそれも管見とみなすと言う管見の意味の急速な変化の渦中にいるとも思われる。つまり文献やメディアは身辺で簡単に知り得る意味から実体験と見なすことも可能な事と受け入れざるを得ない状況にある。その現実性の保証がFaked情報やFaked論文の問題になっている。したがって現実性からは数年前以上に自分の体験、つまり狭義の管見にはFakedの疑いがないだけに現実(Real)体験にだけ頼るのが賢明なのだろう。ましてや自動車の自動運転のようにコンピュータとGPSが結合し自分が阻害されるほどの空間の出現などの状況が急進すると益々現実性(Realが重要で可能な限りFaked media可能性の入り込めない狭義の管見が重要となると思える。自分での経験のみ確かで安易に入手できる少なくも文献などによる知見は信じない立場を取ることが従来以上に重要だと思える。そうすればFakedな場とは無縁に居れる。しかしその時には人類文明の第三の波がそれほど加速度的に起こらないほどと思い、管見という言葉を使った。

しかし、現実はそれよりもさらに早く、管見の謙譲語とも取られる愚見ということばを使うほどで、第三の文明の革新という意味で現実に起こったと言うことを言いたいたいために、敢えて管見ではなく、愚見ということばを用いたほどだ。米国大統領がtwitterFaked Mediaといえば、たちまちそれが世界に瞬時に広まる。自分が信用している人の言うことしか信頼しないと言う、本来言うべきではない場所で言うべきではないことを言っているわけで、米国大統領自身は、それと知らずに第三の人類文明の波の渦中にあるということを認めているということになり、それほど人類の第三の波は、早く来ているということをtwitterで告白しているというわけだ。

自分が任命した官僚が言ったことがMediaに出て議論された途端に、議論されたこと自体がFaked Newsというのだから、任命した人間を全く信頼していないことになる。今までは我々がコンピュータを使っていると思っていたが、米国大統領のtwitterに反応するMediaと、一連の騒ぎを見ていると、人間がコンピュータに操作されているという風にも取れる。今まではコンピュータは人間が役立つためにあったが、ここ2年間で、その役割りは変わってしまった。今では人間が使いこなせなくなってきているということを、認めたくはないが、そうせざるを得ない。

 

 

私は体験したことだけを書いてきた。だから私はここでは、人類文明の第三の波を、小説ならば愚見と取っても良いが、現実は管見を愚見と同じ意味で用いるほどの急速な変化だったのだ。

 

第三の人類文明に入り、今は大きな転換期にあるということを主張したい。


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2017,10,21 第三の文明渦中の管見【この頃思う子ー75-】 [この頃思うこと]

第三の文明渦中の「管見」【このごろ思うこと-75―】

 今年の115日に鉄鋼協会から1時間半の鉄鋼業における製鐵所生産管理システムの技術的革新に関する講演依頼を受け、その際文献にあることでなく実体験を主に講演して欲しいとの要望を受けた。11年前の引退までに書いた学術論文は実体験でそのReal の検証として関連文献を参照していたので、文字通り管見を主に論じた(そこでは管見の定義を特定の場の場組織・時期に狭い範囲で潜望鏡で管見する如く)と改めて定義した程だ。しかしそれは文献やメディアによる知見ではなくなく実体験の確認の意味だった。最近考えるとその確認は文献やメディアによる仮想lを通しての知見が無視できなくなった程強くなった事実もある

そこで現在の我々はトフラーの言う第3の文明の渦中で管見の意味が変わっているのも気付かない程ない程の渦中にいるのかも知れないと思い始めた。

 トフラーは人類文明の変革を、第1次文明期として採取、狩猟、漁労、牧畜から数万年もかけて農業文明へと変革して来た。それを16501975年頃のわずか400年弱の短期間に西欧で生じた第2次文明期革命を一次動力革命、第二次技術革命で実現した。そして米国で19501960年の10年間の短期間に起こり始めた第三の文明は単なる技術革命でなくコンピュータエレクトロニクス、宇宙学、海洋学、遺伝子学など技術が技術的基盤を提供する新しい文明転換期の渦中に突入した状況で、その新文明への転換は、例えば自動運転のようにコンピュータ自身が主体となりGPSも結合するなどの渦中に放り込まれ予測以上の急速転換に驚き行っているほどだ。

 トフラーの言う新文明への移行期は19501950年、まさにコンピュータの揺籃期でその終わり頃の2年間に私は幸運にも米国留学中で日本との十年の差は仮想ではなく現実として管見でき、鉄鋼産業での応用では追い越せたが情報産業全体では今に到るも取り戻せずに居る。それに関連し第三の文明期に移った後の管見の意味もVertualReal体験の意味で変わりつつあると思える。私はこれまでの論文関連では第一次文明時代には人類は生まれた土地の周辺での文字通り身辺のRealな管見のみを取り、文献で得た知識は学術論文のReal性の関連補強の立場を取った。しかし第二期文明期の今、文献やTVで現実と見なす可能があればそれも管見とみなすと言う管見の意味の急速な変化の渦中にいるとも思われる。つまり文献やメディアは身辺で簡単に知り得る意味から実体験と見なすことも可能な事と受け入れざるを得ない状況にある(そのReal性の保証がFaked情報やFaked論文の問題になっている。したがってReal性からは数年前以上に自分の体験、つまり狭義の管見にはFakedの疑いがないだけにReal体験にだけ頼るのが賢明なのだろう。ましてや自動車の自動運転のようにコンピュータとGPSが結合し自分が阻害されるほどの空間の出現などの状況が急進すると益々Realが重要で可能な限りFakeVertualな可能性の入り込めない狭義の管見が重要となると思える。自分での経験のみ確かで安易に入手できる少なくも文献などによる知見は信じない立場を取ることが従来以上に重要だと思える。そうすればfakedな場とは無縁に居れる。。

 

 

 


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2017,09,19 Eurasian Plateの東端と西端【この頃思うこと-74-】  日本とアイスランドは地学上では火山帯上の島で、同じEurasian Plate の東端と西端がそれぞれ海に沈む内側にあり、後者はあまり日本では知られないが北端が北極圏に接し、北海道と四国をあわせた程の面積に人口40万弱と言う。  2006年に74歳直前で退職し体力もまだあり余暇をもてる身になったので、すぐに九州ドライブ1周した後、米国のバス周遊ツアーで8月初め2週間のアイスランド周遊に参加した。白夜の季節で朝の2時 [この頃思うこと]

2017,09,19,7Eurasian Plateの東端と西端【この頃思うこと-74-】

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 当ブログは30年ほど昔に1時間半の講義の中間に眠気覚ましとして始めた会社時代の時空を超えたはなしに始まる駄文だが300編ほど溜まった。このブログをScroll down して左側の任意のマイカテゴリーをクリックするとそれ毎にも読める ************************************************************************************ 

 日本とアイスランドは地学上では火山帯上の島で、同じEurasian Plate の東端と西端がそれぞれ海に沈む内側にあり、後者はあまり日本では知られないが北端が北極圏に接し、北海道と四国をあわせた程の面積に人口40万弱と言う。

 2006年に74歳直前で退職し体力もまだあり余暇をもてる身になったので、すぐに九州ドライブ1周した後、米国のバス周遊ツアーで8月初め2週間のアイスランド周遊に参加した。白夜の季節で朝の2時くらいから夜中近くまで明るかった。小型バスは首都レイキャビックを起点に時計回りで毎日8時過ぎから午後6時頃まで移動し見物をした。島民の多くが海岸近くの漁村や山寄りの放牧場、散在する観光地のホテルなどに住んでいる。昔の一時期には5割近くあった森林が伐採され(植物の生長が10倍近く遅いのに気付かず)いまは数パーセント残る程度で、至る所が茶褐色の富士山の頂上の様な溶岩むき出しの急な山や丘が連なる。そこでは多くの瀧や地獄谷を彷彿させる水蒸気の吹き上げ、池や湖水、その一つでヤブ蚊の大群に息を止め、氷河と隣接した活火山、巨大な人工の温泉プールなど、毎日適度な観光を白夜のおかげで朝8時出発し8キロ近く山や急な丘を歩かされ夕方6時近くまで楽しんだ。2週間の観光をこの短文で紹介するのは無理なのでこれで終わる。

 しかし、同国は日本と同じPlate上にありながらその両者間のあまりにも大きな違いには、短期間ながらの滞在で認識を改め驚く以外はなかった。日本は人口も圧倒的に多いし、国の7割ほどは自然豊かな森林だが、2割にも満たない平地はほとんどが舗装された道路や人工物に覆われ、そうかと思えば活火山や森林渓谷も諸所にあり、何よりも四季に恵まれ、千数百年の歴史と独特の文化がある。長年そこに住んでいて同島との比較で改めてそれらに気付かされる。

 以前【ことばの話】でも書いたがグループは英・米・豪・NZの英語圏に日・伯の6か国の夫婦と同国のドライバー兼ガイドの13人で、毎日の夕食後数時間はそれぞれの訛りのある英語で話すが皆話題も豊富でお国自慢も交え、今日は自分たちがと話を競い合っての会話は楽しめた。私達もそれに割り込むのに精一杯だったがガイドの同国に関する説明は特に興味深かった。中でも同国が純粋な同国語(ケルト語の一種)保持に国の制度として苦労し、外来の単語は英語といえども検閲があり同国の語彙に翻訳し外来語のままでは使えないとか。日本語では本来読み方は一つの表意文字の漢字を同意のヤマトことばのフリカナに遣い始めただけにいまや外来語、とくに英単語のカナ表現で日本でしか通用しない語彙語に溢れているのとは好対象だ。最近のテレビ(これもその一つだが)でその氾濫に、ふと同国のことが頭に浮かび、その連想でこの標題の駄文に発展した次第だ。


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2017,07,18 宗教について【この頃思うこと-69-】 [この頃思うこと]

下記標題の文は同日付で一旦アップしたが読者からキリスト教以外の教えを曲解しているとの指摘もあり二日後に一応は抹消した。しかし、その可能性もあるが所詮千数百字で自分の宗教観を述べるにはどう書き直しても難しいく敢えて若干の語句訂正でで連番もそのままここに再度アップする。      

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 当ブログは30年ほど昔に1時間半の講義の中間に眠気覚ましとして始めた大学時代の時空を超えたはなしに始まる駄文だが300編ほど溜まった。このブログをScroll down して左側の任意のマイカテゴリーをクリックするとそれ毎にも読める。

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2017,07,18 宗教について【この頃思うこと-69-】

世の中一般に宗教は縁遠くなったようだ。それは、50年程昔には短命の早婚で多くは臨終を自宅で迎えたが、いまは長寿・晩婚・親子別所帯の豊かで多忙な生活に紛れ内省の機会も少なく、宗教は「非科学的で胡散臭く、叶わぬときの神頼み的」になっているからかも知れない。一方、鬱で悩む人が多いのも事実だ。

 幼児洗礼の私は戦中も教会に在籍したが、戦後の中・高校は科学一辺倒の無宗教だった。大学の内燃機関の授業で黒板一杯「色即是空」と大書した1時間の話に驚き人生を考えた。教会門前で幾度も逡巡の末、牧師への「奇跡話は信じられない」との質問に「まず信じることで、奇跡話は次第に意味が分かってくる」との答。一大決心で堅信(自身の信仰表示)を受けた。その後50年の現役生活の間、仏教の言う四苦八苦で何度も躓き苦しい時期もあったが、後半19年はキリスト教系の大学に移り信仰を保てけた。その間に棚上げの奇跡問題はどうなったのか

日曜学校の紙芝居で習った旧約聖書の1週間の天地創造、誘惑で知恵と原罪を得る話、など宗教は人類何万年もの間少数の賢人が、迷信のみの大衆にその時代で理解可能な具体的な例え話をしてきたと思い始めた。日本では一神教に「神」と被創造の「八百万の神」の「神」と同じ文字を用いたのが混乱の源泉とは思うが、被造物の自然や先祖を尊崇するのは日本的で良い風習だと思う。仏教には日本人の常識程度の知識しかないが釈迦は死後のための現世でなく現世を大事に生き抜くことと説いたのをこの5月3日のブログで書いた。

 キリスト教にはニケア信条(信教)があり、それにはキリストの生誕と死後三日目の肉体の復活の奇跡が含まれる。現実としては十字架後に逃亡した弟子達が三日目に改心し伝道を始め、2000年経ったいまも何億人もの信者の心に生きている(精神的な復活)のは事実である。誕生の奇跡は神格性を信じる以上は信じるしかない。「死後の蘇りと来世の命」に関しては信条では「待ち望みます」と書かれている。したがって私はこの信条を全て受け入れる信者の端くれだと思っている。

 聖書の一字一句が重要と進化論も否定する原理主義者がいる一方、新約聖書の学問的研究でキリスト自体の言葉と弟子達の見解を識別研究する信者も米国には存在する。勝手な解釈だがキリスト没後の数百年でその神格化のために信者達が書き加えた(奇跡物語)が結果的には信仰を妨げているかにも思えるほどだ。信仰は個人の問題で他の宗教には寛容とは思うが、イスラム教はモハメド当時の食べ物や風習を、技術や環境が当時と大きく変わった今も絶対視する点で多くの問題を孕んでいるかに私には思える。また、死は仏陀が使命を果たし老境で、キリストが若い伝道使命の途中だった違いにも最近気付いた。これまでの西欧社会の発展に寄与した科学は、急速に進み今ではビッグバン理論でマクロな宇宙と超ミクロとの世界を統一できる多次元の新理論の研究が進行中だが未知なことが多い。

 私も現役の70歳半ばまではともかく、80歳を過ぎる頃には、与えられた身体を維持するだけで大仕事になり、自分の人生を振り返って、今まで健康に過ごせた、宇宙37億年に比べるとホンの一瞬にもならない、しかしこの長い人生で与えられ使命の一端を果たせたことも、共有された多くの人々に感謝する気持ちで、無(限)から無(限)に帰るのが必然だと思うようになっている。


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2017,09,05 アメリカ第一主義考【この頃思うこと-73-】 [この頃思うこと]

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2017,09,05 アメリカ第一主義考【この頃思うこと-73-】

 この言葉は、鉄鋼・石炭などで栄えたRUST (錆付いた)地帯 を昔の繁栄に戻すと言うトランプ氏の大統領選挙公約の人気とりアピール実現に基いている。

 米国では鉄鋼業が20世紀初頭からの寡占体制で労働者が労働貴族と自賛するほど格段の繁栄で1960頃をピークに粗鋼年産1.2億トン前後で推移、留学中59年の108日に及ぶ大規模ストで労働側の圧勝、その間の生産不足分補給に日本など海外鉄鋼の大量輸入で鉄鋼ユーザーがその良質安価を発見、米鉄鋼業界はその間も体質改善なしで65年頃まで安逸をむさぼる。70年頃気付いたときは既に遅く、突如米国鉄鋼各社はRUST地帯(シカゴから東の北米)製鐵所を廃止し雇用の労働貴族を退職金・新職場紹介もなく一方的に解雇し失業の荒波に放り出す。の時40歳だった白人がいま80歳代で懐旧の念に駆られている。

また、キング牧師の働きで人種差別論議が盛んとなり68年に牧師が暗殺されノーベル賞受賞で世論が盛り上がり、68年成立の公民権法によりある日突如に公然だった白人優先が禁句となり法的には人種差別がなくなったが、これもその頃40歳だった白人はいま80歳代でその受けた教育・環境から心情的には納得のいかない白人も結構いると思われる。それ以前の留学で実体験した60年頃、人種は「白人(最優秀)・黄色人(準白人)・黒人(知的低)」3種類の旧学説が公然で、ホテル・レストランの予約で再々RaceCaucasian Mongolian Negroの一つを選ばされた。いまにして思えば同じ部屋に黒人を入れないためだったと推測される。そう言えば米国の教会は勿論大学でもほとんど白人と準白人のみで黒人は専用のそれらがあったのには心底驚いたがすぐにそれにも慣れた。

 日本は終戦と進駐軍の占領政策で一挙に価値観が逆転、民主主義、人権尊重、平等が欧米の文化と多くの日本人が教育されて誤解していたので、留学で米国の公然人種差別に驚いた次第だ。また鉄鋼業は戦後からの米国流管理手法を懸命に学びそれを基に独自の設備と管理技術を開発し72年までに米国と同規模の粗鋼年産1.3億トンまで20倍近く急成長を遂げた。その間は労働者の給与ベースと情報技術先導は他産業に比し際立っていた。70年に入っての米国鉄鋼業の突然の閉鎖を反面教師とする日本独自の対処と努力で、地域特性も配慮し設備規模と要員の順次縮小に着手、余剰となった労働者は関連会社への(給与差額援助付き)配転、特定地域では高炉の停止など昔日王者の面影こそないが加えて6社の3社体制への合併で、何とか高品質と低コストと順当な利益をいまも堅持している。RUST地帯の再興はこれに負けぬ品質コストが必要となるがそれが可能か?

 この様に日米の当時の社会状況と鉄鋼会の踏んだ対処の違い、それに該当時期に教え込まれた白人主義のRust地帯で古き良き時代を過ごしその後貧困にあえいだ高齢の白人達にとってトランプの公約に飛びつくのは心情的に分かる気がするし、同時に頼朝の前で静御前が「しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな」と舞った故事にまつまでもなく歴史上の昔に戻すことの難しさに目覚める日もそう遠くない様に思える。

 


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2917,08,26 甲子園高校野球雑感【この頃思うこと-72-】 [この頃思うこと]

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 当ブログは30年ほど昔に1時間半の講義の中間に眠気覚ましとして始めた大学時代の時空を超えたはなしに始まる駄文だが300編ほど溜まった。このブログをScroll down して左側の任意のマイカテゴリーをクリックするとそれ毎にも読める

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2917,08,26 甲子園高校野球雑感【この頃思うこと-72-】

 

 今年夏の甲子園野球全国大会では花咲徳栄高校の優勝で終わり、閉会式も見たがその間いろいろな雑感が浮かんだ。

 

 まずは全国の4000校弱の高校の中から地域代表を次々と勝ち抜いて甲子園でトップの座に着いた同校の実力と栄冠に拍手を、が最初の感じだ。野球は投手陣が優れ、打陣も強打で、エラーが少ないことが強い条件だろうが、そのときの自軍と対戦相手のちょっとしたことで勝敗が分かれるのも見る方にとっては野球の醍醐味だ。幸運も実力の一つとは言うが同校はその意味でも両方を兼ね備えていると思う。閉会式は若者らしいキビキビした動作、とくに状況に応じた帽子の着脱を見て、終戦後再開され、当時から引き継がれた大会の伝統を感じとった。と言うのも、最近は女性の着帽は少なくなり、男性は室内外それに食事中さえも着帽が普通に見られる風景なのでの、以前は男性の着帽は屋外に限られ、女性は正式には室内でも着帽するのが礼儀だったと感じることそれ自体が、いまは古臭く異常なのかも知れないと思えるからだ。 

 

  また、私は甲子園の西方一駅の今津小学校(国民学校と言った)4・5年の頃に毎日阪神電車で乗り換えのため甲子園球場の外観は見ていたが、球場内には、いま思えば軍事関係だったのだろうか、近寄りもできなかったような記憶がある。球場内に入ったのは20年くらい前の阪神巨人戦で応援した阪神が負けたときが最初だ。

 

 今津の小学校と言えば、3角の隅が塁の(狭いので2塁なしの)柔らかい軟式の球(コンニャク玉と言っていた)を腕と拳骨(バットの代わりに)で叩いて遊んだが、それは野球の変形だったのだろう。転校する前にいた九州では騎馬戦とか軍艦ごっことはやったがそんな野球に類する遊びは全く知らなかった。

 

 甲子園の駅では良くアメリカ兵の捕虜グループを見たが、決して興味深く見つめたりましてや指先で指すなどするべきではないと強く注意されていたのに、最近のトランプ大統領の記者連への非難めいた指差しには悲しい思いがするなども思い出してしまった。      

 私は高校時代の大車輪の練習などで指の付根にできるタコを十年以上経っても削っていたが、会社で隣席の先輩で投手をしていた人の指の先のタコを同じように削っているのを見て、削る場所は違え、お互いにそれは知らなかったと笑ったことも思い出された。

  何はともあれ、野球がこんなに全国の人を熱狂させるとは平和の有り難さも実感させられる。                 


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