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模型機関車作り【中高生の頃の話-6-】 [中高生の頃のはなし]

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模型機関車作り【中高生の頃のはなし-6-】
  ここ靜岡では、年に一回の大規模で多種な模型展示会がある。そこで、レール幅16mmの "HOゲージ"で、実物1/90大きさの極めて精巧なプラモデル列車の遠隔運転を見て、すっかり忘れていた模型作成に夢中だった頃を思い出した。
  終戦の翌年、神戸より転校した中学2年からの2年間、模型の蒸気機関車作りに文字通り熱中した。食べるのが精一杯の時代で、模型屋など佐世保には一軒もなく、都会で "O guage"と称する実物の1/45大でレール幅32mmの模型作りが始まったばかりだった。C51型蒸気機関車の1/30の設計図を入手しそれを作ろうと思い立った。車輪・歯車・軌道・連結器など製作に工作機械を要するパーツのみは模型会社から取り寄せ、あとはすべて手作りと決めた。駆動が蒸気でないのが残念だったが、近くの駅で見られる蒸気機関車の雄姿、特にピストン周りの機構の精緻な動きを、如何に実物に近く再現しようかその製作過程に加え完成後の運転を楽しみに、それほどのめり込むことになるとはつゆ知らず始めた。
  2畳程の広さの工作部屋に、必要な諸道具:万力・金切り鋸(のこぎり)・金切り鋏(はさみ)・鑢(やすり)・ペンチ・ハンダ鏝(こて)、等々は旧海軍工廠の放出品などで容易に揃った。それに、真鍮丸棒に鑢(やすり)をかけ頭を球形にしたハンマーや鉛を溶かして作った金床(かなどこ)など、自分で工夫した特製工具も加えていった。近所の銅細工が得意な鋳掛け屋さんから諸種の細工の要領を学べたのは幸運だった。銅板は七輪に木炭の火力でもすぐ真っ赤に焼け、それをバケツの水に入れジュンと急冷すると、少しの間は信じ難いほどフニャフニャやとなる。その間に、その銅板を金床(かなどこ)上に乗せ特製ハンマーで旨く叩き伸ばす。これを根気良く続ければ次第に望む球面ができてくる。こうして時間と労力を掛け、機関車上部に乗っている上が半球形のsteam dome(蒸気溜)の2個、最前面の凸面型煙室扉などの曲面成型を完成させた。 曲面同士の接合部分の作成に必要な展開図は懸命に自分で試行錯誤して描いたが、これは十年後に大学の図学の授業で学んだ方法だった。それ以外の部分は、細工がし易く錆びない真鍮版を使用し金切り鋸(のこぎり)・ハンダ鏝(こて)などで細工した。
  ピストンの動きを動輪に伝える部分はcross head, main rod, connectinng rod, それに前後進や速度を制御するための三日月型の溝がある加減リンクなど、その構造は複雑だが、それだけに躍動美を再現できるのは楽しみだった。機関車ごっこのシュッシュポッポの腕に相当する三つの動輪間の連結棒(connectinng rod)は、強度上断面が凹型の溝がある。その形状を小さく再現するのは大変難しかった。試行錯誤の後に、幅3ミリの厚み1ミリの真鍮板の両端に、直径1ミリの銅線を正方形に鑢(やすり)で削ってハンダ付けをするなど、それに類した数々の工夫もこらした。その他の部分も、学校からの帰宅後すぐ駅に行き、停車中のC11とかC51などの実物の機関車で当日の製作箇所をよく観察し、工作部屋でその製作に熱中する日々だった。こうしてシリンダーと連結棒周りを作り、左右の動輪の連結棒取り付け位置を90度ずらして動輪の車軸をフレームに取り付け、その上に電動機を乗せworm gearを用い車輪が回るようにした。その全体に銅細工のボイラーと運転室を載せて完成だ。本物ではシリンダーへの蒸気の制御で動力が伝わるのだが、模型では逆に電動機で動かすことになる。それでもシリンダー周りの動きは本物そっくりで迫力があった。
  夏休み過ぎには、十畳の間一杯に敷設された3線式のレール上を猛スピードで(実物換算は時速約100キロ)シリンダー周りを本物そっくりに動かしながら走る雄姿を見たときは本当に嬉しかった。友達に見せたら評判となり、市内のデパートで運転展示を要請されて多くの見物者に喜ばれた。その後は経験を活かせて、1/45大の "O guage"で、レールの曲率半径短縮のためC62型の前輪と後輪を1個ずつ減らし、2台同時に半年ほどで完成させた。その頃には、銅細工や真鍮版細工の腕も相当に上がっていた。 次いで、蒸気駆動で1/20大の自分が乗れる蒸気駆動の機関車を作るべく苦心してボイラーまで作った。しかし、熱中の余りの学業成績の急落したのと蒸気エンジンの注文製作が高価だったことから、夢中となっていた模型の世界からはきっぱり縁を切ったが、その集中力だけは身についた。
  大学では機械科に進み、その講義で蒸気エンジンを機構学的に学び模型に夢中だった頃を思い出していた。  C62型は2台とも手許にはなく写真も行方不明になったのは残念だ。C51型は半ば壊れたまま、大型ボイラーと友人に引き取って貰った。その際撮った写真を載せる。


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