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差別とsegregation 【この頃思うこと-25-】 [この頃思うこと]

差別とsegregation 【この頃思うこと-25-】
 差別問題は、高校生のとき島崎藤村の「破戒」を読んで初めて身近にその存在を感じた。企業で東京にいたとき、1980年頃だったろうか、採用時の差別が社会問題となり、多くの企業で管理者が同和・差別関連の特別講習を受けた。そこで部落問題の歴史、主な社会的な関連事件、問題点、対応などを系統的に学んだ覚えがある。
 企業を早期退職し1987年に関西の大学へ移ったが、関西での同問題へ取り組みが関東に比し格段に熱心なことを知った。私の属する教授会で「年に一回の同和問題のクラス討論を今月の各専門ゼミで行う。そこで同和関連の学生達に問題提起させ討論する」と言う。他の教授達は社会科学のテーマに馴染むのか反対はなかったが、私の担当の情報処理とは内容的に縁遠い。しかし、その意義は認め関連の問題提起と討論に若干の時間を割くつもりでいた。その翌日に、同和研究会とかの学生が「同和・差別問題は特別なので私達が出席し討論に加わる」と言ってきた。「専門ゼミの二十数回で全うする講義をそのために90分全部は使えない。本題は企業でも学び自分でも調べ準備する。差別は米国で散々経験したのでその二つで20分くらいを使う」と断ったが彼らは聴講に来た。翌年から出席はしなくなったが、そのスタイルは何年も続きある年から急になくなった。
 その理由を柳父章著の新刊「未知との出会い」のなかで知った。著書で「部落解放の学生達がクラス討論で有無をいわせず差別の間違いを説得し、みんな賛成しなければならないと言う風潮で自由な議論をさせない。その方法が良くないと3度の教授会で続けて発言して認めさせた」趣旨の記述があった。「言葉狩り」の懸念さえある雰囲気で氏の属する教授会での退職覚悟の発言だったそうで、運動自体には賛同されていた。同氏とは同じ日に同じ大学に勤め始めた因縁があり、私より年長だが翻訳や日本語に関連した広範囲な研究分野でいまも活躍されている。同氏の面目躍如の一面を思いだし嬉しかった。
 差別と言えば、体験した50年前の米国における人種差別segregationの実状は、いまの米国の現状からは夢のようだ。その100年前までは奴隷制度が存在したのと考え合わせると、最近の40年に米国で起こった変化は驚嘆に値する。1958年に留学するとき、フルブライトの事前研修で、日本ではよきされる米国での人種偏見・差別に関する種々の率直な注意を受けた。その主なものは、ホテル等で "race"とあれば "Caucasian"と "Mongolian" それに"Black" だから"Mongolian"と書けば良い、"White only" と言われても日本人は入って良い、などだった。
 事実、何度も "Mongolian"と書いた記憶がある。初めてシカゴの駅に着き食堂で昼食を済ませ出て来ると"Black"(いまで言うアフリカンアメリカン)の人が "Look !" と示す入り口には"White only" とあった。同じ理由で留学中のエチオピアの王族が散髪拒否を受けたり、住んでいた Cleveland にもユダヤ人住居地、イタリア人街、黒人街などが現存したりしていた。異人種が住むとその一体の家賃が下がったのも事実だ。教会も白人と黒人は全く別だった。現に日本人の家内と結婚し家を探したときも、面前での極端な差別はなかったが "House for Rent" の庭の掲示で訪ねると「もう契約済み」と言う。何日か後もその掲示はそのままと言うのが何軒もあった。1965年に受けた一か月泊まり込みの "Executive course" で、政治・経済・外交などの広範囲な講義の中に "Segregation" が含まれ私より10~20歳くらい年長のエクゼクティブ達が「大統領選で人種差別のなくなるのは自分たちが死んで遙か後だ」と言っていた。それが事実上子供の代で実現している。 
 その一方で世界では民族差別の現状がまだ根強く残っているのは悲しいことだ。
blog  http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/  2013/8/21
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