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東海道の今昔 【この頃思うこと-36-】 [この頃思うこと]



東海道の今昔 【この頃思うこと-36-】

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住まいから近いJR東靜岡駅の南側に写真のような小さな碑文がある。それには、すぐ横のグランシップ(県立コンベンションセンター)建設の2002年に、奈良・平安時代の都と地方をつなぐ官道で両側溝間1213m幅の古東海道が地下1.5mに靜岡から清水方向へ真っ直ぐ300mほど現れた旨が記されている。

 それから800年ほどを経て、江戸時代に東海道五十三次が整備され日本橋から京都三条の大橋までの約500kmの道路となった。私にとって広重の浮世絵や東海道膝栗毛の弥次喜多道中話などで知る遠い存在だった東海道がここに住み始めてずっと身近な空間になった。と言うのも、この4年余で東の第15番宿場の蒲原に始まり、由比、興津、江尻(清水)、府中(靜岡)、鞠子(丸子)、岡部、そして第22番宿場の藤枝までの全てを訪ねられたからだろう。その多くでそれは国道一号線に隣接しているが、蒲原から由比の間の旧街道では昔ながらの軒並みが散在し楽しめた。由比宿跡には余り知られず勿体ないほど立派な東海道広重美術館があり五十三次の浮世絵が全て展示され、館員の浮世絵製作過程の解説など興味深かった。興津宿と江尻宿(清水)間は山が海に隣接し、その狭い埋め立て地をJR東海道線、新旧の国道1号線、東名高速道路と通っている。そのかなり上方の崖っぷちには旧東海道が歩くだけの幅で切り立ち、その「さった峠」では好天なら正面に富士を右には駿河湾を見晴らす眺めはまさに絶景だ。江尻と府中の宿はいまでは清水と靜岡の街中に紛れて昔の面影は全くないが、鞠子(丸子)宿には浮世絵に描かれているままの店が現存しとろろ飯が楽しめる。また近くの由緒ある柴屋寺に昔が偲ばれ、藤枝にも街道の面影を残す場所がある。それ以西は訪ねてはいないがテレビで見ると街道筋に昔の面影が強く残っているようだ。靜岡市内の現在は国道一号、バイパス、東名高速、そして北側を第二東名と車が市内を東西に通り抜けている。 

IMG_20131228_161812.jpg 古東海道遺跡に面した東靜岡駅を挟む東西3kmほどの間は東海道本線、新幹線、保線車両用など幅100くらいの線路構内で隣接の公園と共に遮る建物もなく富士山が両側の裾まで見える市内でも数少ない場所の一つだ。冬の晴天の昼さがり、平安時代の人になった気分で、大和武尊で有名な一里(4km)ほど先の草薙の草叢越しに見えたであろう雄大な裾野を持つ富士を正面に、日本平を右手に眺めながら古道を散歩するのはロマンに満ちたひとときだ。



              
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