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日本語・日本文化とアナログ・ディジタル型【この頃思うこと-42-】 [この頃思うこと]

日本語・日本文化とアナログ・ディジタル型【この頃思うこと-42-】
 
   自然界は全てアナログ現象だが最近はパソコン・時計・カーナビ、ウェブ・携帯・写真・音楽などそのディジタル化を享受している。それは文字・数値の2進表現と、文字通り桁違いに広範囲((10)14~(10)-9メートルほど)の波長の多様な電磁波(電波・音波・光波など)のアナログ波形をナイキスト理論で2進近似表現したものだ。語源のDijitは「指」だが、ディジタル化では多様なアナログ量を2進最小単位 "1" か "0" 、つまり「有・無」に分解近似し再構築してノイズを排除し伝達や加工の効率がはかられる。
 
 その広がりはグローバルだが、享受する各国の言葉や文化は多様だ。わずか合計6年の海外生活で使用した米語・伊語と若干囓った独語に仏語などラテン系語や中国語からの私の管見では、日本語は世界でも希有に融通無碍なアナログ型だ。構文上、結論が "no" でも相手の心情を忖度して最後で"no”を臭わせる芸当も可能だが、"No"から始まる他国語でのそれに
続ける言葉は単なる言い訳に取られる恐れすらある。その意味で "Mr. yes but no" のあだ名を頂戴した同僚の気持ちも察せられる。語彙や発音でも日本語はアナログ的だ。漢字を訓読みや音読み(呉音と漢音)し、外来語のカタカナ表示もある。イタリアの友人に「英語の文法は簡潔だが発音は無規則に近く苦労したろう」と訊かれ一瞬、昔の英語学習時の「文法・発音とも複雑なのは外国語学習の常」との思い込みと後で学んだラテン系語が「文法は活用や性別などで英語に比し格段に複雑だが発音は規則通りで簡単」だったことに気付き、「全く同感」と応えていた。留学生の「日本の地名や人名の読み方は全く気まぐれだ」との言を待つまでもなく、日本語は英語より格段に無規則だ。
 

 名前は法律上「戸籍に届けた文字」だけが有効で読み方は含まれない事実と、その事実すら気付かずにいられる国は世界でも日本だけだろう。私が気付かされたのは、外国在勤時に漢字読み違えの私宛て電信為替を受け、パスポートの漢字を見せ「こうも発音できる」と一応は示したが「お前の国では読み方は何でも良いのか」と再送付させられた偶然に依る。その私さえ最近の奇抜な漢字の羅列と読ませ方の命名には驚嘆するしかない。
 

 漢字が表意文字だとは理解の筈だが、同一中国文が北京語とその方言の広東語では全てが異なる「一字一発音」になることは香港での学長就任演説で初めて実感した。漢字文化圏だった韓国では、類の少ない独自のハングル文字使用で漢字はこの数十年廃止している。それは漢字併用と比し冗長さは不変で、韓国固有語を主に使えば同音異義もそれほど問題でなく記憶に負担の多い漢字無用で表現に不自由ない利点があるからだと言う。その「冗長さ不変」の理解には、カナ字の「表音」記号(一字一発音)とハングル文字「表音節」記号との違いが「鍵」だと気付いた。私の理解では、ハングルでは子音と母音の字母(総数40個ほどの舌の形の連想とも言われる一つ一つ)自体が「表音」記号で、(その発音字母群の組み合わせの一塊り)が一表音節であり、漢字一字が一音節で表せるので冗長にはならないようだ。しかし、他方で70%近くもある漢字(由来)語の由来の漢字が忘れられて同音異義語区別が困難となり表現が日常会話的で表現の多様性に欠けり古典が読めないなど漢字復活の声が一部にはにあるようだ。このことで日本でも戦後一時期、漢字を廃止しローマ字やカナ表記の動きがあったのを思い出す。  

  そのいずれも(表音節でなく)表音文字なので文全体が冗長となりかつ同音異義の混乱を招く理由から日用漢字制限の対策で上述現状の極めてアナログ的な状態が保たれている。パソコンのカナ変換での同音異語の多さや漢熟語使用の多様表現に悩みもあるが、その言語と言語の母体である「わび・さび・幽玄・和・もてなし」などアナログの極致ともいえる日本文化を、急増しつつある観光客や2020年のオリンピックを通して少しでもグローバルに広め平和世界の構築に貢献したいものだと思う。


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