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考えるときの言葉【この頃思うこと-44-】 [この頃思うこと]

考えるときの言葉【この頃思うこと-44-】

  最近、友人から紹介された松尾義之著「日本の科学は世界を変える」(2015年.1月)筑摩書房を読んだ。その章題「西欧文明を母国語で取り組んだ日本」「日本人の科学は言葉から」「日本語の感覚は世界的発見を導く」などに見られるよう、日本語が非論理的だとは偽りで、日本語で考えるからこそ今後もノーベル賞が続くとの趣旨が、ことの性格上論理的には証明不可能だからと多くの事例で論じられている。その出版から一年も経たぬ今年のノーベル賞科学部門で日本人3名もの受賞者が出た。氏の趣旨の多くに同感すると共に、昨今日本語のみで考えているが、嘗て5年ほどの海外生活ではそれ以外の言語だったことをすっかり忘れていたのに気付いた。

   26歳まで日本語の
みの生活だったので、米国留学での最初数ヶ月は英単語をその都度日本語に置き換え考えていたが、次第に英語をword単位でなくsentence単位で理解し覚えるようになり、半年もせずして自然に直接英語で考えるようになった。夢も英語になり、不思議にも友人はみな英語を喋る。2年目には日本人との対話以外はほぼ全部が英語での思考となり修士論文も英語で考え書いた。以降は海外に出ると翌晩からの夢も英語になり、日常生活程度の思考言語はその方が頭にとり軽負担なのか自然にそうなるから不思議だ。

  40歳から3年ほどの英語使用のコンサルティングでは、仕事中の思考は英語だったし報告書も英語で苦心して考え書いた。イタリア語会話は3ヶ月ほどの個人教授で少し判る程度にはなったが、伊語は日常の語彙が英語に比し豊富だとかで新聞を読むのに辞書ばかり引いたし、イタリア人との会話では自然に伊語での思考になるが、それ以外では相手によって英語か日本語で思考していた。それでも、昨年新幹線でイタリアの家族が隣席したとき、何年ぶりかのカタコトイタリア語が口から出始めたのには驚いた。そう言えば何かを思い出すとき、会社在職中のことは昭和XX年、留学期間中のはnineteen-fifty-eight、 在伊期間のはdiciannove-cento-settanta-tre(1973)、大学勤務の1987年以降は西暦の日本語読みと記憶上それぞれ連動し必要に応じそれから変換することになるのも不思議だ。

  日常会話程度なら、上記のようにすぐ思考言語が切り替わるが、英語の論文書きでは、日本語で思考し、主語を補うなど英語風に書き直してネイティブに診て貰っていた。すると「文法的には間違いないが英語の表現ではこちらがベター」などと訂正された。確かに日本語では直截な表現は避けたがる。その点では文学者で小説家の水村美苗氏の説通り、日本語の、世界の言語でも希有な、ヤマトことば・漢字・万葉かな・訓読み・音(漢・呉)読み・明治初期の漢学の造詣深い学者による欧文化の翻訳造語・最近の外来カタカナ混じり語などの豊富な表現や、成熟度では英仏など現代西欧語に劣らぬ古事記以来の独自の文化を育んできた日本語で思考ができるのは素晴らしいと改めて気付かされる。翻訳学で著名な柳父章氏はその著書で西欧の抽象語とその日本語翻訳の本質的な違いとして「自然(nature)」と「カミ(神、god)」などを例に詳述しているが、それ等はまさに西欧の一神教的digitalと日本の多神教的なanalogの見方が主で、全てが自然の一部という見方を包括・混在させた日本語は、冒頭に挙げた松尾義之氏の説のように自由な科学的思考を可能にする理由の一つと思われる。必要に迫られれば人の頭脳はすぐ外国語思考に切り替わり適応できる。この観点からも全小学生対象の中途半端な英語教育より思考の基となる国語を多く学ばせるのが重要だと改めて痛感する次第だ。  



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