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大学の単位制根拠について 【大学勤務の頃-2-】 [大学勤務の頃]


大学に移って最初に気になったのは単位制だった。自分の経験からも理工系と文系、日・米間の相違があるがそれにしても単位の認識があまりにも違いすぎると感じた。
単位制は戦後に新制大学となったとき米国の制度を導入し、それまでのドイツの制度とは大きく変わったことは聞いていた。単位の根拠は大学入学の時に教わったとも思われるが記憶には残っていない。日本でも、2000年頃から単位制度の運用に関する文科省の規制が、4単位の授業では2時間の講義には試験の時間は除き正味年間30回が必要などと厳しくなった。しかしその根拠について改めての説明はなかったように思う。いまでは根拠は周知の事実なのかも知れないが、それにしては学期中の学生アルバイトがまだ盛んなのは不思議な気がする。そこで以下に、大学からの海外研修を利用しておこなった米国のMBA(経営学修士)コース運営の実体研究のついでに1993年に調べた単位制の根拠をもとに紹介する。
大学単位制の根拠となるのは、「労働」、それも「知的労働」という考えにある。私の知見した限りでは、単位制発祥のアメリカの場合、1時間の授業につき、それに2時間の予復習を課し、合計3時間の勉学(知的労働)とするのが前提となっている。この勉学の、週1回で15週完結をもって1単位(知的労働1単位)と考える。すると、大学の1年を2学期制と考えて、1学期(1semester)〔-蛇足ながら英語のsemesterの語源はラテン語というが、その流れをくむイタリア語についての私の知識でも、6はsei、一ヶ月がmeseつまり6ヶ月のことだろうと推測できる-〕に16単位(仮に2単位の4科目)をとると、3(時間/単位)x16(単位/週)=48(時間/週)となり、少なくも大学の講義期間については、当時の労働者の週48時間労働と同じ負荷となる。これが大学の1年間2学期(休暇期間を除く)で32単位の取得に相当する。このような知的労働を4年間続けると128単位となりなり、学士取得の必要単位数となっていて「単位制の根拠」と考えられる。日本の大学では、90分をもって2時間と見なして週15回で2単位分としているのが多い。(その場合、授業を文字通り90分で計算すると週36時間の知的労働に相当し現行週40時間の一般の労働時間よりも短くなる。)
私の体験したアメリカでの大学講義では、工学系の数学や力学などで毎回多量に出される演習課題を提出させ、評価を付して学生に戻していた。文系の経営学部門でも毎回数十頁は課されるreading assignment を読んだ前提でなされる講義や討論の中での評価と、それに加えての中間試験や期末試験の評価があった。それらは講義の始まる前にシラバスで予め書いてある学生との約束に基づき算出された総合評価がA:90点台、B:80点台、C:70点台D:60点台、F:59点以下の落第、となされていた。しかも、平均点が規程点に達しないと場合や、同じ必修科目を2回続けてFをとった場合は退学となり、入学は比較的簡単だが卒業は厳しかった。また、1学期に4科目16単位をとるとアルバイトを学期中にするなどは時間的に考えられなかった。したがって、アルバイトは休暇期間中にフルにやって学期中は学業に集中するか、昼間パートで働き夜間の講義で少しずつ単位を取って何年も余分に通うパートタイム学生になるのが常だった。
私が在職中の、日本のことに文系の学部ではこのような認識が不十分なように思われ、自分の講義では可能な限り趣旨に沿いたかったが、対象の学生数が米国の数倍もあり、授業料も米国の半分ほどで助手も雇えないので、講義の最初に単位の意味を説明し課題は毎回出したが、その実行は学生に任せるより仕方がなく忸怩たるものがあった。
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