SSブログ

西暦と元号【この頃思うこと-6-】 [この頃思うこと]

2012,8,11 西暦と元号【この頃思うこと-6-】

  日本では西暦と元号との両方が使われている。つまり、ある事柄が起こった年を訊かれれば二通りの言い方があってどちらも正しい。いまは世の中のグローバル化が進み、また何年前の事柄かがわかり易いことからも、元号原則の役所関連を除けば、新聞記事などでも西暦での表現が多くなっている。

ある事柄が起きた年を訊かれたとき、私の場合は、すぐ頭に閃(ひらめ)くのは元号年で、西暦年が必要なときにはそれから換算することになる。でも、ある特定の環境にあった年代に限りその逆に西暦年で覚えていて年号に換算することとなる。すぐに閃くのが西暦と元号のどちらなのかは、特定個人の生きてきた年代で違うし同じ年代でも環境によって異なるようで、それらに関する限られた私の経験を紹介する。

いまでは信じ難い事だが、我々の年代では小学生では西暦の事など教えられたことも、考えたこともなかった。初めて自分の生年の言い方に二通りあるのに気付いたのは戦後の出来ごとで、そのときの戸惑った情景はいまも鮮明に目に浮かぶ。それは高校校1年の英語の時間のことで、「1949年はnineteen-forty-nineと読むのだ」と先生から教わり、その応用で「自分の生年を西暦で言うように」と問われた。昭和でしか考えたことしかなく、西暦とは無縁だった我々クラス一同は、換算の仕方すらわからず全く困惑した。やおら沈黙の後、一人の女生徒が「nineteen-thirty-two」と答え、先生の「その通りだ」との言に、「ホホウ、自分の生年はそうも言えるのだ」と初めて西暦を身近にも感じた。

  その後、西暦も使われ始めたが、就職後の社内では、入社年次からして「昭和xx年組」であり、高度成長期より次第に低成長期と移行した昭和の時代での出来事は、社内外を問わずすべて「昭和xx年」と元号年で話し合うのが常だった。また仕事の上でも、一例を挙げると、オーダーエントリーシステム開発時にはその立ち上げ時期から「ヨンナナヨン(昭和474月)」システムと略称していたほどだ。いまでも会社のOB間で「xx年」と言えば昭和の元号が前提で話が進み西暦は念頭にない。しかし、私もその年代ではあるが、アメリカ留学の1958年から2年と1972年からのイタリアに駐在した3年間は、自分でも不思議なことと思うが、周りの会話がすべて西暦での環境だったので、その間のことのみは完全に西暦で記憶されている。例えば第一次石油ショックのときはイタリアにいたので1973年とすぐに西暦年が出て来るが、第二次石油ショックのときは日本にいたので昭和54年とすぐに元号で出て来る類だ。

  会社を早期退職した後一年余りで昭和も終わり平成の世となった。大学へ転職して最初に困惑したのはこ年号と西暦の問題だった。 大学の同僚の多くはいわゆる社会経験は経ずに大学院から直接に研究生活へと入り、その研究分野と参照文献関連で国内の出来事も含めすべて西暦で記憶していたようだ。例えば同僚から「1980年頃は---」と話しかけられても、即座にはその頃自分が何をしていたのか思い浮かべられず、昭和に換算して「エエトそれは昭和55---」となると途端に「ああ。君津製鐵所に赴任したときだ」とわかり、その頃の社会情勢も思い浮かべて話がつながると言った具合だった。大学へ変わって5年もすると、昭和と西暦の関連づけがスムーズになり、いまでは大学での出来事は西暦の方が先に出て来るようになっている。

  同じ年のことを二つの言い方があるのは不便で、世界共通で便利な西暦のみで良いという意見もある。それにも理があるが、「昭和の時代」とか「平成になって」とか、曰く(いわく)言いがたい雰囲気を漂わせることができるのは日本ならではと思うのは私だけだろうか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。