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「寄付行為」について 【このごろ思うこと-9-】 [この頃思うこと]

「寄付行為」について  【このごろ思うこと-9-】
  先頃、 知人から大学病院のサービスに関する話を聞き、十年前にゼミ生が卒論テーマ「病院におけるブランドの確立」を選んだのを思い出した。そのときの調べで、病院も学校と同じく財団法人としての「寄付行為」が法律上必要だと知った。会社には、社団法人として「定款」があり、法的に会社の目的等々の記載が必要なことはわりに知られている。「定款」は日常は聞き慣れない言葉だが、それなりに会社運営の基本を定めるらしい響きがある。しかし、財団法人でそれに該当する「寄付行為」と言う言葉は日本語としてしっくりせず、まして病院とか学校の運営に必要だとは全く意外に感じた。
  それは私だけではなかったらしい。今回改めて調べると、この言葉はドイツ語直訳との説もあり、2008年末以降の法人設置には「財産の拠出」の用語に代わったと言う。これなら日本語らしいし少しは意味が明確になった気もする。でも、これでは法人発足時の状況はともかく、以降の法人運営における寄付の重要性が薄れる気がする。
  初めて「寄付行為」と言う言葉に接したのは、企業から私立大学へ移って、それが企業での「定款」に当たると知ったときだ。確かに入学式で父兄への「寄付」のお願いはするが、設立当初は別として、その後の大学運営自体は「寄付」よりも圧倒的に授業料や受験料に依存していたからだ。 設立当初の「寄付」が不可欠なことは理解していたが、当該大学創始者たちの孫を迎えその応対をしたときそれが実感された。
  在籍した二つの大学の学校法人は、双方とも明治初めに英国からの数人の宣教師が母国の信徒に呼びかけて集めた寄付金で、大阪・神戸・淡路島などの各地に教会と学校を建てたことに始まると聞く。 当時の彼我の国力、つまり個人収入の格差は大きく、国内募金で大規模な土地取得は不可能だったのだろう。その孫を案内して、宣教師たちが建てた各地の教会と学校を案内するのに、電車や車とフェリーを用いても三日を要した。そのことからも、交通不便な当時での彼らの活躍ぶりが偲ばれ、英国の信徒の「思い」と共に「寄付行為」が如何に重要だったかが実感された。
  このような援助が戦後にもあったのを聞いてはいたが、6年前の退職後すぐにウェールズ地方の田舎をドライブで訪ねたとき直接に聞いた。日曜の朝、泊まったB&Bの前に数百年も経ったと思われる教会があった。礼拝後のティーを囲んでの話で、10歳以上年配の老婦人が、「そういえば、ロンドンにいた頃、戦禍で廃墟になった日本の学校復興にとの呼びかけで寄付をしたことがありました」と懐かしげに話していた。
  「寄付行為」が設立時のみでなく、米国の私立大学の運営に深く関連していることを、1991年から米国のドラッカー大学院に客員研究員としての滞在時に知った。米国私大の学部長の主な役割は、学外からの "Fund Raising" すなわち「寄付集め」で、授業は一切持たず、学内ではほとんど彼を見かけないほど全米を駆け回っていた。ドラッカーセンターの改築が間近だったのも一因だろうが、米国では学部長の多くがそうだと聞いた。日本の私大学学部長の役割が、通常の授業こそ若干減免されるが、その何倍もの各学部間の調整や行政業務で多忙なのとは大違いだ。 米国の私学では、その運営費の多くが授業料とは別に、多額の寄付金に依存していると言う。 日本でも2011年度から税制の仕組みで「寄付行為」免税の範囲が広がったと聞く。授業料に運営費の多くを依存している現状では、私立大学の運営は難しくなることが案じられる。
  病院のサービス問題から、話題が法人として同じ法的根拠を持つ大学の「寄付行為」へ転じてしまった。「病院のブランド」の問題提起の場合も感じたが、病院の場合は心身の不調に悩む多くの人がその対象者であり、その運営費が医療の制度とも関連してさらに一段と広範囲な難しい問題を孕んでいると思われる。
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