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果物のはなし 【この頃思うこと-11-】 [この頃思うこと]

果物のはなし  【この頃思うこと-11-】
  日本の果物は、種類の多さ、品質の良さ、美味で見た目の美しさや均一さでは世界に冠たるものだろう。しかし、難を言えば極めて高価なことだ。最近はとくにその傾向が顕著だが、専業生産者が品種改良に力を注ぎ手塩に掛けて栽培する高級品となっている。これに比し、外国では、果物の宝庫である南の国々は別として、欧米でも朝市などで無造作に山盛りされ売られているリンゴ、ベリー類、サクランボなど、そこいらから「もぎ採ってきた」ような素朴で美味のものが安価に楽しめた。
  イチゴは品種改良が進み日本各地で名産品となっている。いま住んでいる靜岡も御多分に漏れず、近くの久能山の駿河湾に面したビニールハウスでは、春過ぎとクリスマス前に、大粒で真っ赤なそのまま口に入れて美味なものが栽培されている。(子供の頃のイチゴは小粒で酸っぱく砂糖とミルクをかけて食べていた。)そのほかミカンも「はるみ」とか「きよみ」など地元では著名で、季節になればイチジクも近辺の名産で賞味できる。これらは程度の差こそあれ栽培され品種改良された果物の典型だろう。
  20年ほど住んだ大阪南部の河内長野もブドウとモモの名産地だった。桜が散ると、高台の書斎の窓から、桜より赤みを帯びた花が眼下一面に咲き、また、豆粒ほどのブドウの実がつき始めたビニルハウスも見渡せた。モモ畑では、冬場に枝を整え、花が咲き始めると栽培者が脚立を移動させながら、少数の高品質な果実の収穫を得るために、多くの花を間引きし、残した花の雌しべに筆先で花粉を付ける。収穫まで幾度となく水遣りと枝の手入れに精を出す。その間の雑草取りも手間をとる大仕事だ。このように文字通り手塩に掛けるモモは、一種の芸術品とも言えるほどの見事な白桃となり、注意して触らねば指がズブリと入るくらい柔らかくとろりとして蜜のように甘い口中の感触は得もいわれぬ。その高価なこともまた格別だ。
  ブドウ畑も、一面のビニールハウス栽培で、これも冬場に小枝を切り取り整え、春先に小粒な実がなると間引きもし、温度や水の調整の手間を掛け、夏過ぎまでに大粒な巨峰などに育てる。秋には高い脚立を使い、傷つかないように高所の房を一つずつ抱えて鋏で切り下へ手渡す大変な手間がある。これも美味だが大変に高価だ。しかし、それに要する手間を思うと、それらの高価さにも慣れると当然と感じられなくもない。
  それに比し、以前3年近く生活した南イタリアは、雨が少なく石だらけの土地だが、果物は思いの外に多く安価だ。日本では厄介な雑草は高緯度で雨が少ないせいか放っておいても生えず、その手間は不要だ。郊外一面のブドウ畑では、収穫時期になると臨時雇いの人たちが、胸の高さにも満たないブドウの木から、一房ごと摘み取っては頭に載せたかごにポイと放りあげていく様は日本とは大違いだ。朝市で溢れるように盛り上げられた果物の山、ブドウは勿論、イチジク、ベリー類、それにサクランボなど、見た目には不揃いだが、樹で熟しているのをまさにいま「もいで」きた感じだった。とくにサクランボは日本のより大きくて甘く、何よりもそれで満腹感が得られる程に安価だった。帰国後すぐ、それに慣れた子供たちからねだられ、東北産の小さな箱に入った高価なものを買って帰ると「これっぽっちでは食べた気にならない」といわれてイタリアを懐かしく思った程だ。
  2年間住んだアメリカ東部や、しばらく家を借りて生活したニュージーランドやオーストラリアでも、果物はわりに豊富でリンゴなど不格好だが安価で気軽に食べられた。
  このように見ると日本産の果物は、日本人の凝り性の、文字通り「成果」のような気もする。
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