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「日本の持つ資源」 【この頃思うこと-14-】 [この頃思うこと]

「日本の持つ資源」 【この頃思うこと-14-】
  「日本の持つ資源」と言うことを最近は昔ほど聞かなくなったように思う。それは日本全体が裕福になったからかも知れない。その言葉を初めて聞きしかも未だに鮮明に覚えているのは、半世紀も前の1956年の入社後の研修で聞いた幹部の清水氏の講話だった。日本のGNPが戦前の水準に達し「もはや戦後ではない」と言われた翌年のことで、「日本の国土は狭い上に平地はその18%ほどしかなく食料も満足に自給できない。石炭を除けば天然資源は皆無に近く、あるのは勤勉な人材だけだ。貧しい日本を豊かにするには、原料を輸入し、国内の豊かな人材とその技術で付加価値を高め輸出して利益を得るよりほかはない」と言う趣旨だった。入社後の研修でまわった製鉄所内の工場では原材料である鉄鉱石と多くの高粘結炭は輸入だったし、主要な圧延機はドイツかアメリカ製だったのを目にした後だったので、とくにそれを痛感し覚えているのだろう。
  確かに当時の日本は敗戦から10年ほど経ったばかりで、今では想像もできないほど貧しかった。例えば、当時は国内の高速道路は皆無であり、鉄道では蒸気機関車が主で、一般の道路は主要な国道を除き未舗装の泥道だった。また、電話を引くには高価な公債を買わされた上に数ヶ月以上待たねばならなかったほどだった。持ち家を考えることは勿論、車を持つなどとなど夢のまた夢であった。私生活でも収入面で言えば、当時の大学卒の初任給は1万数千円程度で1ドル360円の換算では40ドル程度で、その2年後の1958年に留学したときのアメリカの大学卒の初任給の450ドル程度と比べると収入は1/10だったわけだ。支出面では背広や靴などは1万円は超え一か月の給料でどうやら買えると言った状況だったので、円/ドルの換算率は購買力の上では実力相応で、収入が極端に低かったということになる。それが半世紀の間に収入も増え先進国の一画を占めるの今の日本に変わったわけだ。
  では、その間に「日本の持つ資源」の何が変わったのだろうか。国土や天然資源の上では変わりないが、その国土の上では勤勉な人材が営々と働き続け、現状に慣れた感覚では当たり前のことと普段は意識はしないが、その間に驚くほど多くの有形・無形の「財」が蓄積されてきている。その期間の前半で推進役を果たした製造業では、生産効率の高い新鋭の生産設備が重厚長大から軽薄短小への変化を遂げながら重装備され、共に整備されていったインフラである港湾設備、高速道路網や新幹線・空路の整備、それを高度に活用する流通業などの第三次産業の発展で、市場にはモノが溢れるようになっている。つまり、その間に日本の国土が重装備され、知らぬ間にそれが「日本の持つ資源」となっていることに気付かされる。
  しかし、その資源の増加には1994年以降のバブル崩壊による国の収入を上回る国債でまかなわれた効率の悪い投資が含まれている実状もある。景気を向上するために国内投資が必要なことは理解できるが、以上述べたような観点からも、これ以上に不必要な資源を増やすことなく、少しでも生産性向上に有効な資源に選別して投資し、国としても支出に見合った収入に早く戻るようになって欲しいものと思われる。
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