SSブログ

「階前の梧葉 既に秋風」【この頃思うこと-15-】 [この頃思うこと]

「階前の梧葉 既に秋風」 【この頃思うこと-15-】
 七言絶句「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未醒池塘春草夢 階前梧葉既秋風」の漢詩に長い期間接してきたが、その第四節「はや、階段の前のあおぎりの葉に秋風が吹いてきた」の朱熹の心境に、自由な時間と言う贅沢を入手して七年とになるいまほど全面的な共感を覚えることはない。
 初対面は高校のときで、「少年」には遅きに失していた。しかし、それからの十年近く、入試準備、大学での勉学、就職後の留学試験準備、二年の米国大学院での制御理論研究、と睡魔が襲い来る度にその「少年老い易く学成りがたし 一寸の光陰軽んずべからず」がその退散呪文の役を果たしてくれた。
 留学から帰国後の15年ほどの経済高度成長期には、会社の情報システム構築、海外での技術協力などの仕事に追われた。そこで実務から学んだことは極めて多面に及んだが、それを学問体系に結びつける文献研究には、時間的な余裕がなく皆無に近かった。いま思えば、この時期は読書と睡魔から解放されて、この漢詩にもっとも疎遠になっていた頃のようだ。
 そのようにして31年が過ぎ、早期退職をして大学の経営学部で情報システム分野の研究と教育を担当する機会に巡り会った。学部の教授陣は、大学院も含め数十年間の学術書や論文を主として研究に励んできた人たちからなり、突然そのただ中に実務一辺倒の私が仲間入りしたわけだ。この分野の論文作成には、テーマの新奇性では工学分野と同じだったが、それに加え、先学者の学説との関連付けが不可欠で、そのあため多くの読書が要求された。最初の一年は、諸学説の読書に集中し、気持ちだけでも「少年」に立ち戻って呪文との旧交を暖めた。中年になっての経営学の文献研究には苦労が多かったが、その15年の成果として「鉄鋼業の生産経営管理と情報システム」を何とか体系づけ一冊の学術書にまとめることができた。その頃習い始めた詩吟で、「少年老いやすく」と再会し、「学なり難し」が実感を込めた愛吟詩となる奇縁にも恵まれた。予定では70歳の定年退職後に数年の海外生活を夢見ていたが、退職一年前に4年任期の別大学に変わり、研究以外で多忙となって実現できなかった。
 しかし、任期を終えて得た自由な時間で、退職の翌日から国内外の旅行や短期滞在に出かけ、その間に悩まされた腰痛も帰国後の手術で何とか治せた。それと前後して、大学時代の共同研究者から、「日本での情報化黎明期の研究資料が極めて少なく、懸案として抱いていた会社時代の情報システム開発の推移」を記述するようにと強く薦められた。靜岡への転居をはさみ、関連の記録資料や文献が再発見でき、また、時間も充分に使えたので、二年がかりでそれらをまとめ二つ大学の論集に四つに分けて掲載し終えた。それで仕事関連の記述は終えようと思った。
 その結果生じた時間で、海外渡航にまだ制限があった1950年代後半の米国留学や、1970年前半に駐在していた南イタリアでの、その頃はまだ珍しかった海外生活の私的な体験、それに加え、忘れ去られつつある昔の話を記述しようと思いついた。その多くは大学勤務時代に90分の講義の中間で学生の眠気覚ましに話した雑談だった。それらの時空を超えた私的な見聞の記憶へ誰もが自由にアクセスできるように書き留めることとした。それがこのブログである。いま思えば、これこそ「未だ醒めやらず池塘春草の夢」という朱熹の心情に通じるものだろう。
 このように書くと、いかにも計画的だったように見えるが、実体は自由になる時間の私にしかできない使い方を模索した「成り行き」の結果に過ぎない。
 自分に残された時間は知る由もないが、まだやりたいことが次々と心に浮かんで来る。だが、一方で、肉体と頭脳の諸処理能力が日増しに減じていくのも感じられ、冒頭に述べた感懐を強くするこの頃である。
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。