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東海道本線の電車に乗って【この頃思うこと-17-】 [この頃思うこと]

東海道本線の電車に乗って【この頃思うこと-17-】


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 いま住んでいる建物の屋上から、近くを新幹線の列車と東海道本線の電車が小さく模型のように走るのが見える。近くへは隣の静岡駅まで電車を利用するが、遠方へはそこで乗り換えて新幹線を利用する。大阪の知人に「靜岡駅で新幹線から東海道線のローカル電車に乗り換えるのですね」と言われ「いえ、東海道本線の電車です」と答えた。同世代の知人は少し考えた風で「そうですね」と笑った。元来は本線だったのがいまも名称にだけ残っていることに気付かせたわけだ。それはともかく、熱海へ行くのに「ひかり」は24分、各停の電車では70分とわかり、乗り換えなしの東海道本線の電車に乗ることとした。幸い運転席後ろ二番目の前方の展望が素晴らしい席に座れた。当日は好天で、電車前面で遠くから見える架線支柱が次々と目前にヌッと現れては後方へスッと飛んで行く。そのスピード感の迫力は新幹線のそれよりずっと大きく思えた。新幹線では架線の支柱は車窓を横に目にもとまらぬ速さで飛ぶが目に映るのは遠景だからだろう。
 その情景から、小学校5年の頃、戦前の阪神電車特急の一番前で梅田-元町間の往復したことを思い出した。通学には甲子園乗り換えで一駅乗るだけだったが、その特急には一度は乗りたかった。ある日の帰校時にちょうど特急が来合わせた。「電車の一番前でただ景色を見るだけだから不正乗車ではない」と無理に自分を納得させ特急電車の一番前の席に座った。梅田駅の手前から地下に潜ったのには驚いた。梅田では折り返し同じ電車の後方である最前列に座り変えて甲子園を過ぎ元町の終点まで行った。そこでまた折り返しの一番前にへばりつき何事もなく甲子園へ戻った。その間の前面から景色が飛び込むスピード感と納得が気になるスリル感、ついに乗ったという満足感を改めて思い出していた。 
 駿河湾辺りは、寝台列車を愛用していたので、新幹線の開通後も北九州や大阪から東京との往復で何十回となく通った筈だが、夜半か早朝の暗い時刻で車窓からの眺めとは無縁だった。電車に乗って20分もすると清水駅を過ぎ、次の興津の辺りで、富士が架線の真正面に迫ってくる景色に圧倒され思わずシャッターを切った。新幹線での忙しく移り変わるる眺めと違って、富士駅辺りでの富士は横の車窓一杯に広がるのがゆっくりと観賞でき圧巻だった。夏には、雪がない富士の姿に「あの高い山はなんと言うの」と訊く子もいるほどで貫禄がないが、冬場の富士山は雪を戴き堂々としている。

  電車の前方に広がる駿河湾や富士山に見とれている間に一時間がが経ち全長8キロ弱の丹那トンネルに入った。もうすぐ開通して80年になると言うが見た目にも頑丈そう安心して通過できる。かっての国鉄いまのJRがトンネルも含めた列車の安全運行に力を入れ続けた保守のお陰だろう。最近崩落を起こした笹子トンネルが開通後35年で長さも半分強なのと思い比べ、道路公団が点検もおろそかだったのとは大違いだ。
 トンネルを出るとすぐに熱海駅に着いた。そこではもう一つ驚きに出会った。それは私の横で最前列に座った30歳前後の人のことだ。彼は靜岡駅を出る前から熱海駅に着くまでの間中、ずっと手の平大の電子画面のみを見つめ両手での操作に熱中し続けた。斜めから覗いても画面には何も見えなかったが、丹那トンネルで暗くなった途端に画面が見え、それは「数独ゲーム」とわかった。それにしても、私が子供時代のように興奮して風景を眺めている70分間、彼は画面から文字通り一時も目を離さず、電車が熱海に着くと同時に辺りを見渡すでもなく、初めて画面から目を離しその器具を片手にすっくと降りて行った。その集中力と、折角の特等席も画面しか眼中にない彼には何の興味もひかなかったことに改めて驚かされたのだった。


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