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「紙」への思い【この頃思うこと-18-】 [この頃思うこと]

「紙」への思い【この頃思うこと-18-】
「紙」へは何か特別な思いが私にはあり、しかもそれが年代とともに変わっている。その最初の思いは、5歳頃の硯(すずり)、墨(すみ)、下敷き、文鎮、古新聞、それに半紙(習字用に切った紙をそう称した)をカバンに入れて習字の塾に通っていたときのものだ。当時、半紙は文房具屋で買って貰う貴重品だった。その半紙に先生から書いてもらう「お手本の字」を真似て、最初は古新聞の上に、少し書き慣れると半紙の上に、またそれを裏返し場所をずらせては何回も練習した。ある程度の満足がいくと、新しい半紙を取りだしてその字を書き先生に見て貰う。その上に朱筆で書き直されるか、あるいは何重かの○が書かれて次の字に進むかする。展覧会提出のときは上質の半紙を使い、貴重な半紙を無駄にしないように特に注意を払って書いた。半紙と墨の臭いは私には特別だ。
 紙への違う思いは模型の飛行機作りで持ったものだ。蝋燭(ろうそく)で竹ひごを暖めては望む形に曲げて翼枠と翼桁を作り、そこに特別の紙「雁皮紙(がんぴし)」を貼る。その上に霧を吹きかけると、たるんだ紙がぴんと張る。雁皮紙は手品のような不思議な工作素材だった。 その他、黒板の字や宿題を書いた帳面(ノートをそう言った)も知的な大切なものだった。物資不足も一因だったろうが、戦中戦後を通じて、紙は知的な尊ぶべき対象としての思いが強かった。これは同世代の人に幾分か共有されるものかもしれない。
 そのような思いに大きな衝撃を受けたのは、1958年の留学先アメリカのトイレで、ペーパータオルのポイ捨てを見たときだ。それは物資不足の当時の日本から突然直面した身にはおよそ想像もできない場面だった。さらに、毎朝配達される新聞のページ数は当時の日本の10倍近くでその大半が広告類だったことにも驚いた。加えて、紙コップや紙皿なども、「紙」が「知的」なものとの思い込みとは全く異なる「消費財」として扱われるとは思いもよらなかった。渡米前に「個人当たりの紙の使用量はその国の文化レベルのバロメーターだ」と何かで読んだときに抱いた疑問に、この風景に接して、それが「こんな意味だったのか」と氷解した。
 その後、コンピュータ関連の仕事につき、最初はごく少量印字でも仰々しく大量の用紙を吐き出すプリンターには違和感を抱いたが次第にそれにも慣らされた。しかし、コンピュータの利用範囲が広がるにつれ、バッチ処理しかできず、法的にも磁気証拠が認められなかった当時では、その場では不必要でも証拠書類としての大量の印刷印字保管が必要となったきた。しかも、今のパソコンと違い、出力帳票のデザインはできずただ英数字データの印字のみが可能な当時のプリンターでは、適用業種別の(例えば売り上げ一覧、在庫一覧など別)多種多様な用紙を何十箱分も何十種類別に準備し、印刷後も参照用に法的な年月の保管が必要で、その費用や保管場所には苦労させられた。しかし、それもいまでは技術的にはオンラインで、法的には磁気的記録保存が認められ、紙の無駄な消費はなくなった分は、当然とは言え喜ばしく感じられる。
 しかし、昨今パソコンが普及し、書斎のプリンターが多色化・高速化して何十枚もの印刷・印画が簡単・迅速に出力され、印画紙やA4の印刷用紙が常備品となってきた。便利にはなったが、同時にちょっと油断するとあっという間に無駄な印刷をして後悔することとなる。これも習字を習っていた頃の「紙」への特別の思いの後遺症なのだろうか。ともあれ、これで「紙」が若干でも知的に使われていると安心する一方で、知らぬ間に机上のティッシュペーパーを消費財として愛用している自分に矛盾も感じるこの頃である。
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